0003_少ないことの効能

ミニマリストとかヴィーガンとかを聞くとストイックな生き方をしているように見えて憧れてしまう。僕は、以前中国にいたときにヴィーガンになろうと決心した。でも、一週間くらい経過してから、友人に焼き肉ご馳走するから、ご飯食べに行こう、の一言で簡単に終わってしまった。

今はミニマリストになりたくて、不要なものは捨ててしまって、冷蔵庫も洗濯機も炊飯器も電子レンジもふとんもない部屋に住んでいる。こちらのほうは意志薄弱な僕でも続いていて、支障がなくて、多くのメリットを享受できている。

冷蔵庫なしでどうするの?って思うけど、24時まで開いているスーパーやコンビニが冷蔵庫代わりになるし、洗濯機は1回200円のコインランドリー、炊飯器はアウトドア用のメスティンを使って炊くことができる。そして、布団のかわりに寝袋で寝ている。電子レンジは贅沢品だし、テレビは観ないし。唯一つらさを感じるのは、アイスクリームを買って帰った時は、晩ごはんを作る前にアイスを先に食べてしまわないといけないこと。笑

少ないことの効能は多い。選択肢が少ない。認知が奪われない。生活が自然とシンプルになる。そのぶん、他のことに集中できる。それが、ミニマリストのメリットのうちの一つだ。

身の回りのミニマル化が進んだところで、次目指すのは、心や魂のミニマル化だ。聖書の原理原則はすごくシンプル。

まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。
マタイ6:33(口語訳)

聖書の神様は太っ腹。いつも良い物で満たそうとしてくださっている。神様はぶどうの木だから枝である私達は繋がり続ければよい。そうすれば、流れのほとりに植えられた木のように、豊かに実を結ぶようになる。

たとえ、キャパがオーバーしそうになっても、将来どの道に進むか迷っても、様々な欲に心が惹かれても、弱さを感じてうちしおれても、まず、神の国と神の義とを求めて、神様につながる時、神様が共にいてくださることを知る度に、悩んでいたことなんかどうでもよく思えてしまう。自分がすべきことは、たった一つ。ルカによる福音書に出てくるマルタはなくてはならないもの(神の言葉)を選んだ。

ただ実生活で自分を顧みてみると、様々なことに認知が奪われている現実を知る。仕事のこと、健康のこと、年金のこと、家族のこと、国の情勢など。だけど、何度も何度も、この言を体に刻み込む。

まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。
マタイ6:33(口語訳)

明日への備えはする。でも、決して思い煩わない。主の大きな御手の中にある小さなわたし。主がすべてを支配しておられるし、安んじていよう。

あなたが共にいてくださること、感謝します。