「ウォッチマン・ニーのあかし」という冊子 | 具体的の限りを尽くした説教

中国を代表するキリスト教指導者

先日教会の兄弟姉妹から「ウォッチマン・ニーのあかし」という冊子をお借りしました。ウォッチマン・ニーは中国を代表するキリスト教指導者です。有名な王明道と同世代で1920〜50年代に活動し世界の教会に大きな影響を与えた人物です。

この本は80ページほどの小冊子で自分のことをほとんど語らないウォッチマン・ニーのあかしが3本立てて記載されています。確かリックウォレンの書籍にも書かれていたエピソード、自分のクラスメイトの名前をリストに書いて一人ひとりのために祈り、1人以外を残らず全員が救われたという有名なエピソードも書かれていました。

結局は「祈り」

僕はこの小冊子を読んで2つ学んだことがあります。一つは、結局は「祈り」ということです。誤解を恐れずに言えば聖書は誰でも読めます。それは、聖書は霊的なものでありつつも、知性の領域ともかぶっており比較的取り組みやすいからです。

しかし、祈りとなると違います。そこには必ず信仰が必要になります。そして、自分の弱さや罪と向き合う必要も出てきます。その過程で砕かれることも経験するでしょう。また素直な心で主に自信を明け渡すという行為も求められるでしょう。つまり、祈りは容易な道じゃないのです。

完全に主に養ってもらう生き方

彼はほとんど勉強しなくてもクラスで一番だったといような秀才でしたが、彼はとにかく祈りました。そしてとにかく正直に主と向き合いました。僕は結局信仰とは「祈り」に行きつくと思わされたのです。

そのほか彼は赤裸々に書いていています。方向性の違いや、教義や宗派の違いにより活動場所を変えたりすることもありました。それでも彼は当時当たり前であった給料をもらう伝道者ではなく、完全に主に養ってもらう生き方をしました。そこに祈りはかかせなかったのです。

具体的であった

学んだことの二つ目として、彼の信仰が世界に影響を与えたのは、語る言葉が具体的であったからだと思います。小難しい神学や教義の話をするのではなく、信仰者とはどういうものかというのを見事に言語化したのです。彼は多くの書籍を残しています。

この小冊子のP75に書かれていたこの言葉は衝撃でした。

④多くの人の問題は砕かれていないことです。砕かれるという言葉は聞いたことがあるかもしれませんが、砕かれるとはどういうことか知っていません。砕かれると、事務的なことについても、敢えて断定せず、教えについても敢えて断定しないようになります。人について自分が知っているとはせず、事に対しても自分ができるとはしません。権威をとろうともせず、人に自分の権威を受け入れさせようとも思いません。人がどうであるかを敢えて断定せず、またあいまいな対処もしません。砕かれると自分を守ろうとせず、何もふり返る必要がありません。

砕かれるということがどういうことなのかを具体的に書いています。これなら自分の生活に落とし込むことができます。なぜなら、誰でも日々事務的なことに直面するからです。

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