1915_信仰は太く短くより細く長くのほうがいいのか? | エノクの生涯に思いめぐらせて

エノクは神とともに歩み

僕が時々思い出す御言があります。それはこれです。

創世記 5:24
エノクは神とともに歩み、神が彼を取られたので、いなくなった。

確か沢村五郎先生の「聖書人物伝」にこのような解説があったと記憶しています。それはエノクが必ずしも生まれてから死ぬまでずっと主と共にあゆんだわけではなかったということです。それは御言にこのようにあるからです。

創世記 5:22
エノクはメトセラを生んだ後、三百年、神とともに歩み、男子と女子を生んだ。

65歳までは神と共には生きていなかった

聖書はエノクが「300年神と共に生きた」と書いています。そして、エノクが天に挙げられたのは365歳の時でした。つまり、65年の空白があるのです。沢村五郎先生の解説によれば65歳までは神と共には生きていなかった。しかし、何かがきっかけで主と共に歩む決断をし、それから300年は主と共にいきたということです。

僕は先日この御言を思いめぐらしました。それは僕が救われてからもう23年経過するからです。僕はこの23年を振り返った時にいくつかのことを思い非常に怖くなってしまいました。

後悔と悲観の原因

一つ目はあっという間に時間が過ぎてしまったこと。二つ目はそれらの時間はもう戻ってこないこと。三つ目は僕は無駄に23年間生きたのではないかという後悔です。この23年間、僕はどれほど主と共にあゆんだのだろう。いつまで自分の好き勝手をして、今もなおしようとしているのだろう、そういった自己中心性への悲観です。

もちろん、ポジティブに捉えれば、信仰は太く短くより細く長いほうがいいです。最初は熱心でも信仰がなくなってしまえば救いを失ってしまいます。それよりも、まぁそこそこ最低限抑えて薄く長く、最後にはゴールに入れた方がいいと思っていたからです。

こたえようともしなかった

しかし、僕は主が与えてくださった救いの恵みをそのような信仰姿勢で台無しにしてしまったと思っているのです。主がとてつもないほどの犠牲と愛をもって僕の魂を贖ってくださり、愛の関係の中に入れてくださったのに、それにこたえようともしなかったのです。

だから、今は考え方を変えました。それは最初から太く長くです。エノクは65歳になってから主と共に歩みました。僕にもチャンスはあります。今日から、今から主と共に歩み、太く生きることを決心するのです。

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