これではだめだ
昨日はなぜ祈りを習慣化するのが難しいのか?ということについて書きました。色々な理由は確かにあるのですが、霊の領域において最大のものは悪の勢力、サタンがそれを全力で阻止しようとするからと書きました。ですので、まず祈りとは習慣化すれば勝手に動くルーティーンではなくて、戦いであることを自覚しないといけないと書きました。
僕は安きに流れ、安逸をむさぼる中でも「これではだめだ」と思っていました。そのような中で僕はこれが解決になると思っていたことがあります。それは祈祷院に断食祈祷に行くという解決策です。実際にそのようなことを書いていました。
霊的に突破できる
僕は断食祈祷さえすれば、霊的に突破できると思っていたのです。しかし、僕の中で、断食祈祷は日常にはありませんでした。なぜなら、日常の引力が強すぎるからです。時間を取って1日か2日祈祷院に行っていのらなければならないと思っていたのです。
しかし、ブログで書いたように祈祷院に行くことはありませんでした。なぜなら、現実的に時間がなかったからです。それでも、祈祷院にさえ行けば突破できる。それができないからしょうがないと思っていたのです。
デタッチメント
しかし、主から教えられたことはDetachmentというキーワードでした。デタッチメントとは分離を意味します。そう思うと、この日常から離れて祈祷院に行くことはでタッチメントかもしれません。しかし、主が教えてくださったことは日常にあるあらゆる渇望から分離せよということでした。
つまり、僕の頭や心の中にある思い、考え、渇望が他のものに執着しているから分離しなさいということだったのです。確かに僕には思い当たるふしがいくつもあったのです。デタッチメントしないといけないことは僕の頭や心にあることだったのです。
マタイによる福音書 6:21
あなたの宝のある所には、心もあるからである。
日常の中で主に向き合おう
それがわかってからやることは決まりました。主によってデタッチメントしてもらうだけです。僕はお風呂場で電気を消して祈るようになりました。正直、まだまだ突破できていません。祈っている最中に他のことに気がいったり、散ったりすることがあります。しかし、それは通らないといけない過程です。
祈祷院に行くというワンチャンを捨てて、日常の中で主に向き合おうと思います。












