1761_「主に明け渡す」ということを目指して

主に明け渡す

ここ数年、僕の中の課題は「主に委ねる」や「主に明け渡す」ということでした。それは何も持っていなかった救われた当時は当たり前のようにできていたことなのに、大人になった今は全くできなくなっていることに課題を感じていたからです。

説教者が「主に明け渡す」というテーマで説教をしたとしても僕はそれが実際にどういうことなのか霊的に理解も経験もできないほどまでになっていました。自分の持っているものを手放すや固執しているものから離れるという言葉を聞いてもそれを自分に適用して行うのはどういうことなのかわからなかったのです。

自分の真の姿

その過程で僕は自分の真の姿を知ることになりました。それは明け渡したいと思っているだけで、実際は明け渡したくないと思っていることが自分の中に多くあるという厳しい現実でした。それを知った時の変化はこのようなものでした。

  1. 抵抗(いや、そんなことはない)
  2. 受容(たしかにそうだ)
  3. 失望(自分はそのような姿だったのか)
  4. 希望(僕にはできないが主にはできる)
  5. 確信(明け渡すという感覚)

僕にとっては失望もつらかったですが、希望をおくという過程で信仰を試されました。自分の古い習慣だからとか長年そうだったからとかいう理由をつけて自分はもう変わらないという思い込みを御言によって突き抜けるのに時間がかかったのです。その過程は葛藤そのものでした。

主にはできる

しかし、確かに「主にはできる」という信仰がやってきた時にようやく明け渡す準備ができたように思います。僕は救われた時よりも多くのものを持っていました。それを力強く握っていたのです。それらを一つ一つ主によって、自分から引き剥がしていくことが必要だったのです。

以前は、主がいなくても、あるいは、少しだけ主と共に生きる信仰さえあれば仕事も家庭もまぁまぁできると思っていました。しかし、実際それは神様から見ればすごく低次元での生活であったと今はわかります。当時はそれすらわからなかったのです。

訓練は続く

明け渡しの訓練は引き続き続いています。むしろ、日々明け渡すことの繰り返しです。以前は自分の力でやっていたことも「心からあなたなしでは何もできない」と告白できるようになってきています。

僕はあなたなしでは教会生活も家庭も仕事も学びも何もできません。

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