1760_教区の新年聖会に参加して

霊の目で見る

昨日は自分が属している教会で教区の聖会がもたれました。毎年開催されていますが、昨年はインフルエンザで寝込んだため参加できていませんでした。ですので今年は2年ぶりの参加となります。

1019_教区の新年聖会に参加して

0655_新年聖会に出席して

世間一般的な考えでは「せっかくの祝日なのに朝から教会で奉仕をしてもったいない」となるかもしれません。僕ですら肉において見るならばそう思います。しかし、霊の目で見るならば決してそんなことは思いません。

なぜなら、それは主にお出会いする時間であり、霊的な学びを得る貴重なチャンスであり、普段会うことのできない兄弟姉妹との交わりの時間だからです。

一を聞いて十を知る

たとえ、「行かないといけない」と思って行ったとしても恵まれます。なぜなら主は来てくれることを喜んでくださるからです。しかし、「主にお会いしたい、もっと親しくなりたい、変わりたい」と思って行くならば、恵みと祝福は30倍、60倍、100倍になります。なぜなら、そのような人の魂は良い土だからです。

そのような人は孔子が言ったように、一を聞いて十を知る人です。僕はそのような状態には慣れていませんが、いつもそのようになりたいと思っています。実際に聖会に参加させて頂いて、魂は恵まれ多くの学びを得ることができました。

イライラしている時

今日は教えて頂いたことをいくつかシェアしたいと思います。

説教の中である海外の説教者の言葉が引用されていました。その海外の説教者がある人に「最も霊性が落ちている時はどのような時か?」という質問を受けたそうです。それに対して、彼は「イライラしている時だ」と答えたようです。

僕はそれを聞いて最初は「なんだそんなことか」と思ってしまいました。しかし、説教者がこのように言いました。「なぜ人はイライラするのか?それは、自分の思い通りにならないからだ。」

脳天に稲妻

僕はそれを聞いて脳天に稲妻が落ちたような気分になりました。僕は通勤などの時によくイライラしていしまいます。それは順番抜かし、歩行中の衝突、既に窮屈なのに電車の椅子に座ってくる人、そんな人を見るとイライラするのです。しかし、それは僕が「自分の思い通りにならないからだ」と初めてわかったのです。

その時に、確かに僕の霊性は落ちているのです。それを知ることができただけで聖会参加の元を取りました。なぜなら、「自分の思い通りにしたい」という気持ち自体が主に自分を委ね切れていない証拠だとわかったからです。これは日常生活において自分を訓練するチャンスだと思いました。

多くの励まし

その他にも珠玉の言葉が語られました。いずれも目が開けるようなことばかりでした。今年は自分にいくつか具体的なチャンレンジを課していますが、それを遂行するにあたり励ましとなることが多くありました。主に感謝です。

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