1568_私はあなたの悲しみ、痛み、苦しみをしっているよ

たといそうでなくても

嫁さんのお腹の中にいる赤ちゃんはずっと羊水が全くない状態で生きています。医者から言われているメインシナリオでは赤ちゃんが生まれても肺が低形成のため、息ができなくて死んでしまうと言われていました。

そのことに関してずっと夫婦で祈ってきました。「主にはできないことは何もない」という信仰と「たといそうでなくても」という、自身の願いを祈りつつも主の御心がなるように祈っていました。

現状はますます悪く

しかし、現状はますます悪くなっていく一方でした。当初期待していた手術はできないとわかりました。また途中から逆子になり、羊水がないため戻れな状態になってしまいました。

さわに輪をかけて、先日はへその緒が赤ちゃんの首に巻き付いてしまっているということがわかりました。お医者さんいわく、通常分娩では首に巻き付いたへその緒で赤ちゃんが窒息死してしまうとのことでした。さらに、妊娠中にもそれが原因で死んでしまう可能性があると言われました。

イエス様に文句

僕は信仰者として情けないながら、神様に対して怒りに似た感情が沸き起こってきました。最悪の状態で最善がなされることを祈っていたのです。しかし、最悪に最悪が重なるこの現実を受け入れられなかったのです。

歩いている時に僕はイエス様に文句を言ってしまいました。

「へその緒が首に巻き付いて苦しんで死ぬ身になってみろ」と暴言を吐きました。それに対して主は「私は十字架の苦しみを味わいました。」とおっしゃいました。僕は何も言えなくなりました。

それからしばらくしてから僕は、「へその緒が首に巻き付いて苦しんで死んでしまう親の気持ちがわかるか」と暴言を吐きました。それに対して主は「わたしは父としてひとり子が十字架で苦しんで死ぬのを惜しみませんでした。」とおっしゃいました。僕は何も言えなくなりました。

しっている

それから、しばらくしてから、主は「私はあなたの悲しみ、痛み、苦しみをしっているよ」とおっしゃいました。

僕は今の状況が主のご計画と御心において、どのような意味があるのかは全く分かりません。もしかしたら、ずっとわからないかもしれません。しかし、すべてをわかってくださっている主がおられる、そのことだけで大丈夫だという何の根拠もないように思える平安が確かに心にやってきました。

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