1629_人間らしさを引き換えにAIの利便性を享受している

AIなしでは何もできない

僕はAIに対して比較的ネガティブな印象をもっています。それは人間はそもそも罪人であり、安きに流れるという原則の中に生きている以上、AIによってもたらされる負の側面が大きいと感じているからです。だからと言って、無視することはできません。僕は実際に日常生活でかなり使っています。しかし、それには確実に犠牲を伴っています。

たとえば、AIに過度に依存してしまうこと、自分で忍耐強く調べ抜くことをしないこと、思考することをあきらめることなどが含まれます。ようはスピード、効率は上がっている一方で自身の能力は確実に劣化しているのです。いずれはAIなしでは何もできないというような人間になってしまうでしょう。

AIに魂を渡している

決してAIに魂を渡しているわけではありませんが、人間らしさを引き換えにAIの利便性を享受しているように思うのです。AI利用は日常生活に留まらず、仕事でもかなり使っています。仕事の生産性を上げるために会社としても積極的なAI利用を進めています。

デザイン分野の仕事でいえば、LayermateというAIデザインツールがかなり役に立っています。要件定義はChat-GPTで壁打ちをしてプロンプトをAIに作ってもらいます。そして、そのプロンプトをLayermateというAIデザインツールに流し込めば、あっという間にデザインの土台が出来上がり、80%くらい完成します。

人間がデザインする意味

そのままだと「AIで作ったよね」となるので、色合いを日本人に寄せたり、事前に自身で考えたアイディアをデザインに落とし込んでいきます。ここに人間がデザインする意味があると思っています。そして最終的にできたデザインを再度、AIに読み込ませて最終的な画面に基づく要件定義をしてもらいます。

あとは、資料に要件定義を書いて、デザインを張り付ければデザインの提案書があっという間に完成します。これまでなら3日ほどかかっていた作業が3時間くらいで終わりました。

早くできる前提で仕事が振られてくる

じゃあ、ラッキーなことに余った21時間で何をするのでしょうか?また別の仕事をするのです。これの繰り返しです。生産性は確かに上がりましたが、仕事の忙しさはほとんど変わらないというのが体感です。実際に、早くできるようになると、早くできる前提で仕事が振られてきます。

僕がしたかった生き方とはこれなのか?と今日も自問しています。

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