いい大人に出会えるかで人生が変わる | 高校時代の恩師

高校時代の恩師

先日、高校時代の恩師が脳梗塞で倒れたとの連絡を受けて翌日お見舞いに行きました。先生はダメな人間にも可能性を見出してそれを開花させる能力に長けた方でした。僕が高校生の時は厭世的で反逆的でした。それをパンクロックで表現していたのです。恥ずかしながら、たばこを吸い、お酒も飲み、授業をさぼり、左右の耳にピアスが5つも空いていました。

普通ならこんな生徒は見捨てますよね。可能性ゼロです。しかし、先生は僕自身すら知らない可能性を見つけていてくれたようでした。普段の接し方、言葉から僕はそれを感じました。そして、僕は次第に先生に心を開くようになりました。進路を考えてしっかり勉強しようと思えたのも先生のおかげでした。

贋作を作れる能力

そんな先生は誰からも慕われていました。その関係は高校を卒業してから23年経過した今でも続いています。「何歳になってもどこかで会える」そういった環境から僕はどこかで先生が不老不死でいつまでも僕の先生でいてくれると思い込んでいたようでした。

先生が脳梗塞で倒れたとの連絡を受けたその日、いてもたってもいられなくなりました。急いで会社の帰り道に画材道具を買ってかえりました。僕には高校時代から無駄に特定のスタイルの画風の贋作を作れる能力があります。先生を励ますための自分らしい絵を先生に届けたいと思ったのです。

そして、翌日、病室に行くと先生は右半身がまひで動かない身体になっていました。先生は僕を見た瞬間に涙腺が崩壊していました。先生はうまく口を使えなくなっていたのですが、涙を流しながら「やさしいなぁ、やさしいなぁ」と何度も言っていました。

いい大人との出会い

以前もブログで今の自分があるのはいい大人に出会ったからと書いたことがあります。ともすれば僕を含めてクリスチャンはそれを見逃す可能性があると思っています。なぜなら、すべて神様のおかげだと完結してしまうことがあるからです。それは確かに真実でしょう。しかし、神がいるからとて、この地上においては誰一人、ひとりでは生きていくことができません。

誰に支えられて、そして赦してもらって、いや赦してもらい続けて生きているのです。確かに主によってこの命を生かしてもらっていますが、周りの人にも生かされているのです。僕はそれをわすれないように周りの人と密にかかわりながらクリスチャンとして生きていきたいと思わされました。

KEEP EXPLORING

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