義人はいない
聖書には「義人はいない一人もいない」とある以上、国籍、老若男女、家系など関係なく、すべての人が平等に義人ではありません。だからすべての人がキリストの救いを必要としています。しかし、クリスチャンを見ると、すごく悪い人状態から救われた人と救われる以前からそれほど悪い人ではなかった人の2パターンの人がいることがわかります。
もちろん、人は外見や行いからでは判断できません。僕が一方的にそう思っているだけかもしれません。しかし、僕は自分の心や行いを見るに僕はクズ中のクズだと思ってしまうのです。
義人偏差値
これをポジティブに捉えるならば、僕は感受性が高く自分の心の変化に対して敏感で罪悪感を感じやすいといえるかもしれません。しかし、ネガティブに捉えるならば僕は単純に悪い人間なだけなのです。
もし、義人偏差値のようなものがあるとすれば、僕はきっと20くらいだと思っています。つまり、1000人に1人あたりの割合でしか存在しないほどの不義な人間なのです。
クズでないとわからないことがある
僕は「どうして自分は周りとは全く違うのだろう?どうしてこれほどまでにクズなんだろう?」と思ったことがあります。特に高校時代、また大学生の時にそのように思っていました。しかし、次第にクズでないとわからないことがあるということもわかってきました。
どういうことか説明します。先日、嫁さんが嫁さんの友人の旦那さんについて話をしていました。その旦那さんは明らかにクズ旦那だったのです。自己中心的で他責の人間です。自分が家族の中でさも偉い者のように振る舞い、奥さんに対して事情にきつく当たっていたのです。
そういう人こそ救いを必要としている
普通の男ならそれを聞いて「そんな旦那最低だ!」と同意することでしょう。しかし、僕はその人を裁く気になれなかったのです。なぜなら、僕がもしイエス様に救われていなかったら、その旦那同様にクズの人間であったと確信するからです。
嫁さんから友人の旦那のクズ話はよく聞きますが、僕はいつでも裁くことができません。むしろ、「そういう人こそ救いを必要としている。キリストはそういうクズな人間をも造り変えることができる。なぜなら、僕自身がそうだったから」と思います。
必ず祈る
僕は嫁さんの友人の集まりに行く時に必ず祈るようにしています。なぜなら夫婦関係は簡単なものじゃないからです。僕はそういったつながりからキリストの救いが広がっていくように祈っています。
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