0658_コロナで毎日500名近くの方が亡くなっていることを知って

コロナに対する認識の違い

最近難しいなと感じていることがあります。それは、コロナに対する認識や危機感の違いにより意思決定が明確にわかれてしまうということです。特に会食や活動を行うかの意思決定はむずかしいです。数年前、コロナ流行初期の頃は仕事が終わってからの会食などは行動制限が厳しくひかれていたので、そういったことは問題になりませんでした。

また、ここ数年で行動様式もすっかり変わり、感染対策をしっかりできるようになっているので、感染者数が減少している時は会食や活動が活発になることも当たり前になっています。

以前は問題なかった

しかし、行動制限が厳しくひかれてない状態で、感染者が急増している今この時が難しいです。現在では感染者が急増、かつ1日当たりの死者数も過去最高を記録しているにもかかわらず、通常通りの生活が続けられています。

もちろん、既に多くの人が感染しており、未知の恐怖のウイルスという認識もなくなり、軽症で済むから大丈夫という認識が広がっているのは悪いことではないと思います。また、一方で、高齢者と住んでいるから、活動は従来通り控えたいという人も間違っていないと思います。

意思決定の問題

これは、ワクチン打つ派とか反対派とかの問題ではなくて、コロナに対する認識の違いだけなのです。個人的に直面している問題は、「何人まで家に招けるかどうか?」です。誰かを招く場合、感染者が急増している時は1名に抑えています。少ない時期であれば最大5名とか来てもらうこともあります。

たとえ、予定していたとしても、急増した時に「やっぱなしにしよう」と伝えて、「いいよ」と言ってくれる人もいれば、心の中で「気にしすぎじゃね?」と思っている人もいると思うのです。

軽症で済むから大丈夫?

そして、肌感覚では、周りで「気にしすぎじゃね?」という人が少しずつ増えてきていると思っています。僕も実はそっち寄りの人間でした。しかし、ここ数週間で、親族周りでの感染が相次いでいて、これは気をつけないといけないと思わされました。そこそこ高齢で基礎疾患のある両親が二人とも初めて感染したのが大きな変化点になりました。

僕の場合は、身内が感染したから火がついただけなのですが、現在では毎日500名近くの人が高齢者を中心に亡くなりつづけています。その背景には家族がいて、多くの人が悲しみに包まれています。また医療従事者の方たちに負担としわ寄せがいっています。そう思うと、とても「気にしすぎじゃね?」と思えないことに気が付きました。

軽症で済むから俺は大丈夫と自己中心的な行動様式にならず、高齢者に感染が広がらないように徹底して普段の行動を気をつけたいと思いました。

おっさん
■決して自分が軽症で済めばいいという問題ではない

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