0277_ぶれない生き方

変わってほしくないところ

時々、昔の友人とかと話をしていて、「変わったな~」と思うことがあります。付き合いが長くなると、この人だったら、こう言うだろうとか、こういった反応をするだろうと予測できるものですが、それが予想に反する反応になると、どうも一抹の悲しさを含む「変わったな~」という感情が起こります。一方的に「変わったな」と思われるのは余計なお世話であり、勝手な他人からの期待値にすぎないのですが、そういった感情が起こる時は、その人に「変わらないでほしかった」という願望があるのかもしれません。

変わってもいいところ

もちろん、人が変わることはいいことでもあります。「士別れて三日なれば、まさに刮目して相待つべし」ともあるように、優秀な人は3日間会わないだけで、明らかな成長が感じられるものだそうです。そういった変化は大いに歓迎ですが、僕が言いたいのは、その人の個性、生き方、方向性など根本的な深いところで変わってほしくないという願望です。

高校の友達などと会うときは、一瞬にして高校時代にタイムスリップできるような安定の変わらない感覚があります。もちろん、それぞれ、成長していますし、ステージもスキルも変わっています。しかし、根本的な価値観はほとんど変わっておらず、それが安心感につながります。こういった変わらなさはすごく大切だと思います。

変わるべきでないところ

変化が多いこの時代、重心が低い安定した土台は非常に重要だと思います。Youtubeやテレビで見た考えにすぐに影響を受けて、自分の大切な土台がコロっと変わってしまうようであれば、結果的に様々な情報に振り回されてしまいます。植えられた木が土の中に根を張り巡らす間もなく、あっちこっちに植えては抜けて、植えては抜けてを繰り返す羽目になり、ちっとも成長できなくなるかもしれません。

地に根を下ろし、根を張り巡らし、どんな情報がやってきてもぶれないような生き方ができている人は、人からも信用され、その生き方自体が無形の資産になると思います。

変わったところを取り戻す

僕自身も、他人の期待値から外れるような言動や行動をして、「変わってしまったね」と思われているかもしれませんので、若き日の純粋さを取り戻せるように祈っていきたいと思います。

あなたがたのうち、知恵に不足している者があれば、その人は、とがめもせずに惜しみなくすべての人に与える神に、願い求めるがよい。そうすれば、与えられるであろう。ただ、疑わないで、信仰をもって願い求めなさい。疑う人は、風の吹くままに揺れ動く海の波に似ている。そういう人は、主から何かをいただけるもののように思うべきではない。そんな人間は、二心の者であって、そのすべての行動に安定がない。
ヤコブ1:5-8