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プログラマーの生態について
僕はプログラマーではありませんが、日々プログラマーの方と一緒に仕事をしています。彼ら彼女と話をしているとつくづく感じるのが、心から技術を愛し技術に誇りをもっているということです。僕から見たらただの文字の羅列にしか見えないものでも、「ここに秘伝のタレが入っているんですよ」とかすごく嬉しそうに話をしているのです。技術者としての矜持があるのか、基本的に「できない」と言わない方が多い気がします。独創的なアイディアや代替案などでニーズに答えようとするそんな姿勢があるようです。
生態も独特で僕の周りには昼か夕方に起きてきて、朝方に寝る人が多いです。パフォーマンスが最も上がる時間が深夜の0時〜5時頃までだと言っていた人もいました。彼らからの仕事のメッセージのほとんどが夜中か朝方に入っていいるので、それを見て、僕が昼間に動き、彼らはよる動き、実質24時間途切れることなく連携が取れるので仕事はしやすいと感じています。
プログラミング学習
僕はせいぜいHTMLとCSSあたりしか触れないので、少しづつですが、プログラミングの学習も進めています。僕が思うプログラミング学習の醍醐味は家にいながら仕事ができるや職探しに困らないというものではなく、学習全般に言える「できなかったことができた」にあるとおもいます。「動かなかったところが動いた」、「表示されなかったところが表示された」など調べてそのとおりに実現できると快楽物質が放出され、もっとやりたいというモチベーションに変わります。
プログラミング学習は微差の積み重ねで、わからないことを調べて実装してそれが動くのを確認するだけで満足できます。パブロフの犬のように次の快楽物質を求めてもっとプログラミングを知りたいという好循環が周り始めるのです。これが例えば、仕事の大きな長期案件などですと、プロジェクトが完結するまで快楽物質は放出されず、回転率が非常に悪くなりますが、目標を自由に設定できる学習であれば、小さな達成感を回し続けることができます。
クリスチャンの達成感
個人的にはクリスチャンには達成感などはいらず、ただ、喜びがあればいいと思います。大きな奉仕をやり遂げた時、伝動集会が無事終わった時の達成感などはあまりいらないと思っています。最も大切なことは喜びであり、最大の喜びは人々の魂の救いに携わり、その方が救われた時だと思います。天において喜びが爆発しているように、何にも代えがたい喜びがあると思います。
あるいは、ある人が悲しみから慰めが、闇かから光が、苦しみから開放へ、迷いから確信へ、と神様の働きがその人のうちになされることを見ることも大きな喜びだと思います。
変わった人たち
プログラマーの生態が他の人と少し変わっているように、クリスチャンも少し?変わった人たちでしょう。しかし、プログラマーの人たちが矜持を持ってやるべきことをやっているように、変人扱いされようが、変に思われようがクリスチャンとして矜持を持ってやるべきことをやることが大切だと思いました。
プログラマーが技術的に「できない」とは言わないと言わないように、クリスチャンも偉大な神に信頼し、神様的に「できない」などと不信仰なことは言わないようにしたいと思いました。