中国のおっちゃんクリスチャン

先日、教会内の奉仕者を対象とした教会生活を送る中で役に立つ対人関係やカウンセリングに関するセミナーが開かれ、上海から2名の講師が来られ講義してくださいました。セミナーは理論と実践に分けられており、講義の主要な内容がひととおり語り終えられた後、各グループに分かれて、学んだことを実践する時間が設けられていました。

テーマは、「どのようにして問題を抱えた人の話を聞き、相談に乗るか」で、グループの中の3人はそれぞれ、以下の役に扮し、実践することになりました。

  • 相談する人
  • 相談にのってあげる人
  • 観察者

私は、このグループに分かれて、何かをやるのが非常に苦手です。しかも、感情を扱った擬似的な実践に果たして意味があるのか、と考えたりすると、嫌になり、一気に憂鬱な気分になってきました。しかも、万が一、グループ内で役割が一向に決まらず、じゃんけんで役割を決めることになり、私が負けて相談する人になってしまったら、たくさん話さなければいけなくなるので、面倒なことになると思いました。

そんなこともお構いなしに、講師は強制的に、80名ほどの参加者を、3人一組にしました。私は左右にいた50代と思われる二人のおっちゃんとグループを作られました。早期に戦意喪失し、意気消沈していた私が、二人のおっちゃんに、私は中国語が駄目だから、足を引っ張ることになるから、参加は控えることにすると弱音を吐くと、

おっちゃんは、

おっちゃん
大丈夫だ。君は観察者に徹していればいい。
と言ってくれました。

さらに、

おっちゃん
だいたい、こういうのは人生の経験を積んでいないと駄目なんだよ。俺たちのやりとりを見ててくれたらそれでいいんだよ。
と自信満々に言ってくれました。

そして、私が中央に座っており、それぞれ、右のおっちゃんが、相談する人左のおっちゃんが、相談にのる人になりました。私の心配も杞憂に終わり、頼もしい二人のおっちゃんのやりとりを観察することになりました。

そして、司会者主導のもと、スクリーンにロールプレイのお題が発表されました。

  • 相談者は20代の女性で、結婚しており、3歳の子供がいます。昨年、マイホームを購入し、今はおなかの中に二人目の子供がいます。しかし、一ヶ月前、旦那が交通事故に遭い、亡くなってしまいました。
  • 相談者は家のローン抱え、3歳の子供がおり、おなかの中にはまもなく生まれる赤ちゃんがいます。
  • 相談者は相談役の人に相談し、観察者はその様子を観察しなさい。

そして、司会者が、大きな声でスタートを言いました。会場内は、一気にざわつき始めました。

私は観察すべく、スクリーンから目を離し、左右にいるおっちゃんに目を向けると、さっきまであんなに威勢のよかった頼もしかった二人の姿はなく、ただ、スクリーンを見たままフリーズしているおっちゃんたちだけがいました。右が左に話しかけなければ、何も始まりませんし、私も中央にいて、何の活動もないおっちゃんを観察しても、仕方がありません。

左のおっちゃんは、スクリーンを見ながら、何かもぞもぞ小声で何かを言っていました。右のおっちゃんも何も話かけません。確かに、このお題は擬似的に演じるには、相当難しいと思います。私が、左右のおっちゃんに、「このお題は男性にとっては演じにくいですね」というと、おっちゃんたちは、「うん」とだけ言って黙りこくっています。

一方、周辺のグループには、役になりきって泣き出すおばちゃんがいたり、抱きしめあう人がいたり、祈りだす人たちがいたり、非常に活発な活動が展開されています。右のおっちゃんが、何とか現状を打開するために、女性になりきって、泣き声をまじらせながら、左のおっちゃんに話しかけました。

それに対して左のおっちゃんはまさかの無視。

お題発表前のおっちゃんたちの威勢のいい自信満々な“前振り”を見ていただけに、そのギャップがつぼに入ってしまって、私は笑いをこらえるので必死でした。一方、おっちゃんたちは、真剣に戦意喪失、意気消沈。発表前の私の立場と完全に逆転していました。

結局、十分な活動は実施されず、最後のほうは、論点がずれて、

おっちゃん
この女性はクリスチャンなんかな?
とか訳のわからないことを言っていました。

中国人は、本当にかわいいなぁと思います。実践の時間が終わり、総括がなされていました。この実践の目的は、どうやら、“傾聴”ができるかを試すものだったようです。祈りの際、自分の要望、願望を多く、語るのも悪くないですが、丁寧に耳を傾けること、相手が話したいことに耳を傾けることの大切さ。

初代傾聴王のサムエルの一言。

僕は聞きます。主よ、お語りください。

カナンの地は今日も輝いています。