人生もっと楽しもうよ!
クリスチャンの信仰生活とは、時々刻々と悔い改めたり、主との交わりを優先するために生活を聖別したりと、外から見たらストイックに見えるかもしれません。ある人はもしかしたら、そういった生き方の何が楽しいのか?と思われるかもしれません。
実際僕も友人などに言われたことがあります。ようは「人生もっと楽しもうよ!」というようなことを言われることがあります。しかし、僕自身は自分の歩むがたとえ不完全であっても、主と共に歩む生き方をしたいと願っています。
死に関しては沈黙を貫きとおしている
その理由はいくつかあります。本質的な側面で言えば「人生を楽しむ」とはこの地上でのことに焦点を当てているからです。もし、この世が「人生を楽しむ」だけじゃなくて、死の問題に対しても解決を与えてくれているなら、僕は耳を傾けるかもしれません。しかし、この世は人生を楽しむことを教えてくれますが、死に関しては沈黙を貫きとおしているのです。
むしろ、「そんな暗いことを考えずに今を楽しめ」といわんばかりです。
死を滅ぼしてくださった
しかし、聖書は死の問題の解決を与えてくれています。それはイエス様がなされた御わざがすべてを解決してくれました。聖書に書いてあるとおり、主は確かに死を滅ぼしてくださったのです。そして、主ご自身がその初穂となり、復活されました。
ある人にとったら、これが童話か何かのように聞こえるかもしれません。クリスチャンは童話のような話を盲目的に信じているだけなのでしょうか。それは違います。クリスチャンは信仰によって主に近づき、主イエス様とお出会いした時に、主が復活されていることを霊的な深い面で体験したからです。
もっと価値のあること
この体験は誰が何を言っても変わることがありません。だから多くのクリスチャンは頑固にも?信仰を簡単には捨てないのです。それは心の中で確かに起こった事実だからです。またそれだけではありません。聖霊によって永遠の命が与えられていること、あるいは、自分の罪は確かに赦されているという証印を押されたのです。
この地上で聖霊によって体験している罪の赦し、永遠の命を信じている以上、使徒信条にあるように、体のよみがえりも信じているのです。そう考えたら、それらに取り組むことは、人生を楽しむことよりも、もっと価値のあるもことだとわかると思います。