家庭集会
最近祈りの中で思うことがありました。それは、家庭集会を始めたいという願いが次第に強くなってきたということです。今の嫁さんとは結婚する前から家庭集会はしたいよねという話をしていました。その理由としては、僕の両親も何十年も家庭集会をもっており、スモールグループで自分の住んでいるところを開放することは当たり前と思って育ってきたからだと思います。
結婚してからも心の中では家庭集会をいつかはしたいと寝かせていたのですが、そろそろ、真剣に祈り始めてもいいのではないかと思い始めたのです。祈りの中で主がそれを望んでおられると強く思うようになったのです。
365日祈りの家になるべき
とはいいつつも、家庭集会は簡単にはじめられるものではないことも事実です。まず、自分の住んでいる家が365日祈りの家になるべきです。これは以前ブログでも書いています。
さらに、自分の家だけではなくて自分の魂の神殿も365日祈りの家にならないといけないです。これは正直僕にとってはかなりチャレンジであります。なぜなら、家は往々にして気が抜けてしまうところであり、ついつい、自分のしたいことをしてしまったりするからです。
福音宣教が家庭から広がっていく
ですので、最初から自分の力ではできないと思っています。365日主に切実に助けを祈り求めてこそ始めて自分の魂が、自分の家が祈りの家となり、そうしてはじめて家庭集会ができる前提に立てるのだと思います。そして一度そうなってしまえば、福音宣教が家庭から広がっていくのだと思います。
よくよく考えたら、家庭集会ほど恵まれたものはないと思います。なぜなら、家庭集会は家庭において霊的な祝福や恵みを多くの人と共有することができるからです。それは自分の子供に対しても同じです。子供が住んでいるところが祈りの家となるのはどれほどすばらしいことなのだろうと思います。
主には何でもできます
今僕が様々な物を断捨離しているのはそういったことの準備段階なのだと思います。家にある霊的に不要なもの、また僕の心にある霊的に不要なものを祈りによって取り除いていく過程で、家庭集会への道が開かれていくと信じます。僕にはできませんが、主には何でもできます。