1190_「きよくなりたいのか?」

豊かな心の人生

僕はずっと「豊かな心の人生」というのを求めていました。それは物質的なものに囚われず、この世的なものに執着せず、ただただ豊かなお方であるイエス様に満たされるという生き方です。僕にとってはこれは幸せな道であり、居心地のいい生き方だと思っていました。

しかし、実際そのように生きたいと思えば思うほど、ますます自分の罪深さがあらわになってくるのでした。豊かな心の人生の前には数えることのできないほどの悔い改めが僕の前に用意されていました。それはきれいごとのような単なる自己否定ではなく、誰にも言えないような自分の中にある闇を直視する過程でした。

悔い改め

どれだけイエス様のようになりたいと願っていても、実際の行いは全く逆。できたとしても低打率。ほとんど日常生活を送る中で人を赦せなかったり、些細なことでイライラしたりしてしまっています。そして何よりも誰にも言えないよう闇を自分の中に抱えており、それが罪だとわかっていながら、手放したくないという思いがあるも知っています。

しかし、それは「豊かな心の人生」を歩むためには顕わにされないといけないものでした。もし、僕の中にある汚さや闇が顕わにされなかったら、僕は悔い改めることすらできなかったからです。主は一つひとつ、僕の目の前に僕が悔い改めないといけないことを示してくださいました。

そして、それが「自分にはできない」と思うようなことがあったとしても、「イエス様にはできる」と信じて一歩踏み出し、御言を握って告白する時に主はいつも僕の中に働きかけてくださり、自由と解放を与えてくださいました。

きよくなりたいのか?

イエス様は今日も僕に語ってくださっています。

「きよくなりたいのか?」

僕は何度その問いかけに対して無視で答えてきたでしょう。繰り返し「これはこれ」と心の中で言い訳してきたでしょう。これだけは絶対に譲れないと思っていたものがあったのです。しかし、今日、今主の前に告白したいと思います。主に心を開いて、偽りのない心で「きよくなりたいです」と答えます。

イエス様は昨日も、今日も、いつまでも変わることなくおっしゃってくださいます。

「そうしてあげよう。きよくなれ。」

イエスは手を伸ばして、彼にさわり、「そうしてあげよう、きよくなれ」と言われた。すると、らい病は直ちにきよめられた。
マタイ 8:3

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