僕と落語
今から12年ほど前に落語にとてもはまった時がありました。当時は新卒入社した会社を3年足らずでやめて日本語教師の資格取得のために勉強している時でした。中国に行くまでに割と時間があったので、たくさんの本を読みました。
その時に読んだ本が古今亭志ん朝師匠の本でした。活字で読むだけでこれだけ面白いなら音声で聴くならと思ってCDレンタル屋で借りて聴くと、鳥肌がたつほど面白くてすぐにはまってしまいました。当時は仕事もしていなかったので、若手落語家の寄席なども一人で見に行っていました。
桂枝雀の落語
しかし、それ以上の衝撃を受けることになります。それは上方落語の桂枝雀師匠の落語でした。これは落語とは全く別物といっていいほどのものでした。レンタルショップで師匠の落語大全のシリーズを借り集めて、テキストで印刷された落語の歌詞カードもすべて印刷して、清聴しました。
師匠は神戸大学に入学しますが、学ぶことがないというので退学して噺家を目指します。頭の回転が異常に早くほとんど真似するのが困難なほど早口です。師匠の笑いは知的で計算されており緊張と緩和」などの笑いの理論を生み出しました。師の落語は爆笑落語といわれるほどでした。
僕がそんな師匠にあこがれるのは、落語が面白いからだけではありません。師匠は厭世的でマイノリティーの考えを持つ人だったようです。多くの人が夢中になっていることに興味が全くわかず、それを一人で少し斜め上から面白可笑しく見るというような方だったんじゃないかと勝手に思っています。
再熱した原因
中国にいたときは毎日のようによく聞いていたのですが、2015年に日本に帰国してからはほとんど聴かなくなってしまっていました。決して興味がなくなったわけではなくて、日本の社会に適応するのに必死だったシーズンだったので、聴く暇がなかったというのが正しいかもしれません。
しかし、先日、落語熱にまた火がつきました。それは僕の母教会の初代牧師先生の説教を初めて聞いたからです。桂枝雀師匠の落語を聞いている人は、この人は師匠の落語の影響を受けているというのがすぐわかります。僕はこの初代牧師先生が師匠の落語をかなり聞いていたんじゃないかと思いました。
わかりやすく面白く、人間に寄り添って神様の福音を語るそのスタイルに純粋にかっこいいと震えあがったのです。
もう一度
そんなことで、昔レンタルした枝雀師匠の音源を探しましたが、すでに紛失してなかったので、メルカリで安く購入することにしました。もう一度、枝雀師匠の落語を復習しようと思います。