音楽のコンサート
先日僕が行っている教会で音楽のコンサートがありました。コロナ禍でずっと開催できていなかったので、今回が4年ぶりだったそうです。教会にはピアノが上手な方が大勢いらっしゃって、その方のもとでピアノを習っている方がピアノの演奏を発表されていました。
以前の僕の教会でも同じような音楽コンサートがありました。ただその場合、場所は別の小さいコンサート会場を貸し切ってやっていましたので、教会で音楽コンサートをすることに驚いてしまいました。なぜなら、僕は小さいころから礼拝堂は礼拝をするところであって演奏会をするところじゃないと厳しく教育されていたからです。だから、礼拝堂では賛美以外の曲を演奏することは厳しく禁じられていました。
人から上手だったねと言われる時
クラシックには確かにキリスト教のバックグラウンドがある曲も多いですが、僕からしたら賛美でないものはクラシックだとて世俗的なものだと考えています。だから、礼拝堂でクラシックを演奏して発表することに違和感しか感じませんでした。これは事実とは反するかもしれないですが。発表会でのピアノ演奏者は多くの場合きっと人に向けて演奏していると思います。
もちろん、そうじゃない方もいらっしゃると思います。ピアノで演奏できることを神様に感謝に祈って神様に栄光をおかえしされる方もきっといらっしゃるでしょう。しかし、人は弱さを持っており、人から賞賛されたり、褒められたりすることを喜んでしまうものです。神様を礼拝する場所でそういったことが起きるのはちょっと違うのではないかと思っていました。
悔い改めに導かれる
こんなことを思いつつも、教会の行事なので祈りつつ参加しました。そして、僕は参加して大いに悔い改めることになるのです。なぜなら、そのコンサートにはおよそ30名の未信者の方が訪れていたからです。ピアノ演奏者の友人知人や地域でポスターを見た方が駆け付けたそうなのです。そして、コンサートの間には牧師先生によるショートメッセージもありました。教会でコンサートをすることで聖書のメッセージが30人の方に届いたのです。
僕は自分の考えを少し改めました。大切なことは、聖書の言や神様の思いがまだ神様を知らない人たちの心に届くことであって、それを通して、人々が開放され、自由にされ、乾きが癒されることです。神様はご自分のご意志によって自由に栄光をあらわされるのだと思いました。
どうこう言わない
と書きつつも僕は、依然として礼拝堂は礼拝するところであり、世俗の曲を演奏すべきじゃないと思っています。しかし、それは僕の考えであってそれで自分がどうこういう話じゃないと思いました。