ある本
先日、「イエスの血潮を宣言する祈り」という本を入手しました。この本はある説教者が説教の中で「血潮を宣言する祈り」と言及していた本です。そんな本は全く聞いたことがなかったのですが、調べてみたところこの本を探し当てました。こういった固定化されたテキストを読むことは儀式化してしまいやすくあんまりよくないのかなと思いましたが、かなりよかったです。
昨日はお風呂の入りながら、実際に宣言文や宣言文の引用元となっている聖書箇所を音読しました。するとどうでしょう。とても自分の魂が恵まれるのを感じたのです。確かに僕はイエス様によって救われていることを知っているし、体験もしていましたが、音読によって宣言することで、その理解が強調され、再認識され、救いの解像度が上がる体験をしたのです。
恵まれる
まだ、数ページしか宣言できていませんが、これはお風呂でのルーティン本にふさわしいと思いました。これまで僕は自分の覚えたい御言をノートに書きこんで、それを音読しながら覚えるということを習慣にしていました。これがかなり恵まれるのですが、それに似た体験をしました。
まず、宣言文が聖書箇所を引用元にしているから同じ効果があります。そして、シンプルな宣言文に恵みの言葉が最適化されているので、宣言文を覚えやすいのです。いちばん、いいのは引用元の御言を覚えるのがベストだと思います。
しかし、この本は日常生活で即効性のある言葉が宣言文になっているからいいのです。
恵みが凝縮された宣言文
御言を覚える作業をすると感じるのですが、まるまる一章を覚えると、一章の最初からだと暗唱ができるのですが、一章の途中から暗唱するのが難しいと感じることがあります。それは、一章一節から順番に頭の中で景色を描いたりしながら覚えているからです。もし、ストーリーが頭の中で再生されないなら、途中から覚えた御言にアクセスできないのです。特に一章の中に核心的な恵み多い御言が複数ある場合、取り出すのが難しいのです。
しかし、この宣言文は長い御言の大切な核心的な恵み多いエッセンスを多分に含んだ言葉を抽出して、端的な宣言文を構成しているのです。
当面は暗唱聖句もしつつ、この宣言文を暗唱することも自分の霊的ライフワークに導入しようと思いました。