イースター礼拝後
今日はイースター礼拝が終わったあと、墓前礼拝に参加ました。教会から車で40分ほど行ったところに霊園があり、そこに教会のお墓があり点に召された教会員はそこに納骨されることになっています。この墓前礼拝には昨年初めて参加したのですが、とっても恵まれるので今年もとても楽しみにしていました。
今年も親族の方など含めおそらく40名ほどが参加したんじゃないかと思います。霊園がある山の桜はあいにく散っていましたが、新緑の透明感と太陽の日差しがまぶしく、自然から主の復活を感じることができました。
屋外での礼拝
屋外で使えるスピーカーとマイクを使って文字通り、墓の前で礼拝をします。屋外で皆で祈り、賛美し、説教を聞く体験は一味違います。僕はこれがとても好きです。そもそも、人間というのは古代から屋内で集まるものではなくて、屋外で集まるものだったからです。
屋外の空気感、皆の声が合わさって空気の振動でそれが広がります。そして、それに合わせるように鳥が鳴き、虫が鳴き、自然と一体となります。この体験は決して教会内では味わえません。今年も特別な時間を過ごさせて頂きました。
バスでのワイワイガヤガヤ
墓前礼拝そのものもさることながら、マイクロバスの中もとても恵まれます。むろんマイクロバスの中は高齢者ばかりで僕には特に話す相手はいません。もっぱら窓の景色を見るくらいです。ただ、皆さんのワイワイガヤガヤの会話を聞いているだけで恵まれるのです。
兄弟姉妹の屈託の笑顔を見たり、命と希望に満ちた会話を聞いていると、こんなクリスチャンになりたいな~と思わされます。聖書にはこのような言葉があります。
神を見た者は、まだひとりもいない。もしわたしたちが互に愛し合うなら、神はわたしたちのうちにいまし、神の愛がわたしたちのうちに全うされるのである。
ヨハネⅠ 4:12
互いに愛し合うなら、神様がそこにおられるということです。
先輩クリスチャンから「教会にいるクリスチャンたちの目が輝いていて、ここには何かあるというのを感じて教会に来た」という話を何度も聞いたことがあります。もし互いに愛し合うなら、そこにイエス様がいてくださって、実際に、何かを感じるものなんだと思いました。
僕自身も、教会にきてそういったことを感じましたし、今もそれを感じています。ただ、自分が感じるだけで終わるのではなく、教会に来る方がクリスチャンが愛し合っていることを見ることによって、イエス様と出会えるように祈りたいと思いました。