0724_クリスチャンライフにおける2つの定期点検項目

定期点検項目

クリスチャン生活の中で、定期的に欠かせない作業が2つあると感じています。一つは、「神がこれから必ずなしてくださる新しいこと」に目を向けること。もう一つは、「神がこれまでになしてくださったこと」にも目を向けることです。

もし、現状だけを見続けているのであれば、それはクリスチャンライフとして不十分だと思います。なぜなら、聖書にも書いてあるとおり、「幻のない民は滅びる」からです。神から与えられるビジョンから目を離さず、いつも新しく美しい神のなされるわざに期待しながら小さな日々を歩んで行きたいと思っています。だからこそ「神がこれから必ずなしてくださる新しいこと」に期待していきたいです。

見よ、わたしは新しい事をなす。
やがてそれは起る、
あなたがたはそれを知らないのか。
わたしは荒野に道を設け、
さばくに川を流れさせる。
イザヤ43:19

過去の恵みを数える

次は、「神がこれまでになしてくださったこと」にも目を向けることです。僕が感じている良質な問いはこれです。「もし、あの時、イエス様に出会っていなければ僕はどうなっていただろうか?」です。信仰生活が長くなってくると「今」が当たり前のように感じられてきてしまいます。今があるのはすべて主のおかげであるとわかっているのですが、本当の意味でその恵みの深さがわかるかどうかは、黙想と内省が必要だと感じています。

僕の場合、17歳の時にイエス様に出会う体験をしました。以降の大きい節目でいうと、浪人生活、大学受験、中国留学、新卒入社、自主退職、中国へ行く、日本へ帰国、再就職などです。これらは主にキャリアについてだけですが、プライベートなところでももっと大切な意思決定をしてきました。

もし、あの時、イエス様に出会っていなかったら、どんな浪人生活だったのだろう?どの大学に入ったのだろう?そもそも、中国というキーワードは祈りの中で与えられたものだったので、中国にも行くことはなかったでしょう。そうなると、もし、イエス様に出会っていなかったら、今の人生とは大きく違う人生を歩んでいたことだと思います。

豊かさはすぐそこに

「神の恵みは私に対して十分です。」(わたしの恵みはあなたに対して十分です)という聖書の言がありますが、本当にそのとおりだと思います。クリスチャンですら、もし、肉の思いに囚われてしまうならば、資本主義経済の思想の通りに「もっともっと!」「上へ上へ!」「さらなる豊かさを!」と現状に満足できない状態になってしまいます。

もちろん、成長は良いことです。しかし、「豊かさは本当に本当にとても近くにある」ということを忘れないで痛いです。

おっさん
■神の恵みは私に対して十分です

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)