0702_夫たる者は妻に仕え、子供に仕える

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上に立つ者

この世界は治める者と治められる者との二者が必ずいます。治める資質と品性と能力を持っている人が上に立てば安泰ですが、持っていない人が上に立つと悲劇しかありません。上に立つというのは、重要な役割であり、大きな責任が伴います。なぜなら、上に立つものには大きな権力があるからです。

当然のこととして神は上に立つものですが、神の子であるイエス・キリストはすべての権力を持っていたにもかかわらず、この地上においては上に立たないような生き方をされました。むしろ人に仕える生き方をされたのです。それが当時のユダヤ人のメシア像と大きく違ったのです。

下に立つ者

人間の考えでは神は上に立つものであり、栄光あるもの、誉れあるもの、美しいもの、力のあるものです。イエス・キリストはもちろんこれらすべてを持っておられました。しかし、この地上ではへりくだりの限りを尽くし、罪人を愛し通されたのです。

それは最後の晩餐の時に、神の子であるイエス・キリストが弟子たち一人ひとりの足を自らの手で洗われたことにも表れています。イエス様の仕える姿勢は徹底的で完全なものでした。

下に立つ生き方

クリスチャンはイエス様のように生き、イエス様のような姿になることを求められます。それが本人の意図とは関係なしに、聖書がそれを明確に要求しています。それは、この世界で最も難しいことかもしれません。なぜなら、誰だって自分が大切だからです。自分が上に立ちたいとは思わないにしても、人の下について、仕えるというのに抵抗があるのではないでしょうか。

しかし、神は信仰を与えてくださいました。信仰によってイエス様のように生きることができると信じることによって、そこに神の力が働き、神が心の内側に働き、神の力が自分働くことを体験することができるようになると信じます。

仕えるということは

僕はイエス様に仕えます。そして、それはつまりこういったことを意味しています。

家族に仕えます。妻に仕えます。子供に仕えます。親戚に仕えます。
会社に仕えます。上司に仕えます。同僚に仕えます。お客さんに仕えます。取引先に仕えます。
教会に仕えます。牧師に仕えます。兄弟姉妹に仕えます。地域の人に仕えます。

以上は、僕にとって決して容易なことではありません。なぜなら、仕えることは捧げることだからです。古い僕は「時間がなくなる!とかメンタルがしんどい!」とか言い訳をして仕えようとしないのです。

だからこそ信仰を働かせて祈ります。

「僕には人に仕える愛はありません。どうか、あなたの恵みによってイエス様がされたように人に仕えることができますように。」

おっさん
■キリストの生き方は仕える生き方

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