イエス様こそが喜び
クリスチャンにとっては周知のことなのですが、今日改めて、主イエス・キリストこそが自分の喜びであり、楽しみであることを実感しました。身の回りには自分にとって魅力的と思えるコンテンツが溢れていますが、到底イエス様が与えてくださる喜びや楽しみにはかないません。
僕が二心だった時は、このイエス様の喜びをそれほど感じることはありませんでした。もちろん、日々の聖書や祈り、または奉仕や礼拝で恵みを受けることはありました。しかし、神様だけを求めると決めた時に変わり始めたのです。
もし二心なら
たとえ、決心をしても二心のままでゆらゆら揺らいでいては本当に信仰を働かせていることにはなりません。それは、「この世も求めており、イエス様も求めている」状態です。以前、セルグループで皆が皆、自分の弱さばかりを語っていたところ先輩クリスチャンがかなり厳しい口調で「戦って勝ち取っていかないといけない」とおっしゃったとおりです。
信仰によって目の前の欲望に勝たないといけないのです。それは、今、目の前にある欲を満たしたいという欲望を選ぶよりもイエス様を選ぶだけです。目に見えるもの、刹那的なもの、短期的なものではなく、目に見えないもの、永遠なるものを選択することです。それが信仰を働かせることです。
信仰の戦いとは
その戦いは当座は喜ばしいものと思われないかもしれませんが、もし、その戦いに打ち勝つ(イエス様を選択する)ことができれば、この上ない、言葉に尽くせないイエス様が与えてくださる喜びや楽しみが心に湧き上がってきます。それはこの御言のとおりです。
あなたはいのちの道をわたしに示される。
あなたの前には満ちあふれる喜びがあり、
あなたの右には、とこしえにもろもろの楽しみがある。
詩篇16:11
守るべきもの
この永遠に変わらない喜びを失わないように、自分の心を守ろうと思います。
油断することなく、あなたの心を守れ、
命の泉は、これから流れ出るからである。
箴言4:23
そのために高ぶらず、驕らず、誇らず、高慢にならないように心に守りたいと思います。なぜなら、水が高いところから低いところへ流れるように、イエス様の命もいつもへりくだるところに流れていくからです。