0577_聖書を読もうとしている時に急ぎの用事が入ってきたら?

スケジュール遵守

とっても当たり前のことなのですが、教えられたことを書いておこうと思います。僕はこだわりが強い面倒な人間で自分で決めた予定どおりに進まないと嫌なタイプです。もちろん、他の人と共同で行わないといけない作業は例外ですが、朝は聖書を読んで、洗濯物をして、朝食を食べてなどは厳密に順番を決めておいて、その順番どおりに実行できて初めて安心できるという面倒な人間なのです。

しかし、人間一人で生きているわけではないので、そう毎日順番どおりに、あるいはそれが実行できるとは限りません。急ぎの仕事や急ぎの家事や色々な横やりが入ってくるので、時には中断しないといけなくなるのです。

横やりの用事

もちろん、それが自分の読書の時間や家事の時間だったら、なんの問題もありません。しかし、それが自分の聖書の時間になるとわけが違ってきます。僕はできるかぎり目覚めた真っ白な新鮮な状態で聖書の御言に触れたいと思っています。そして朝の一番のゴールデンタイムを主にお捧げしたいとも思っています。

しかし、本当に緊急のことが入って来た時は、聖書を読む時間を後回しにして対応に当たらないといけないことがあります。最初は、神第一が当然、聖書にも、「まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。 マタイ6:33」とあるので、緊急のことが入ってきても、それを断るのは当然のように思います。

大切なこと

しかし、今朝僕が教えられたのは「日常のことを通して主に仕えることができる」ということでした。神様は主に仕えるように人々に仕えることを望んでおられます。もし僕がAさんに仕えるならば、主に仕えるように生きるのが主の御心です。さらに神を愛するように周りの人々を愛することも望んでおられます。

もし、実際の生活で人々に仕えることもなく、愛することもなく、さらにそれを実際の行動として現していないにも関わらず、「僕は神を第一としている」、「僕は朝の時間を主にお捧げしている」というのは自分で立てて義であり、全く本質からずれていると思いました。

とても難しいけれど

そして、急ぎの用事が終わったあとに、後回しになった神様との時間を取ったとしても、同じように恵まれることを知りました。大切なのは主に仕えるように人々に仕えたいという気持ちと主を愛するように人々を愛するということでした。

それは僕にはとってもとっても難しいことです。しかし、諦めずに主の望んでいるように生きたいと思います。

おっさん
■仕えることと愛することは難しいけど主にあってできると信じる

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