営業素質があるとはつまり
みなさんは、口がうまいという言葉にどのようなイメージを持たれるでしょうか。言葉巧みに説得したり、言い逃れをしたり、口だけで自分の都合のいいように物事を持ち運ぶネガティブなイメージが少なからずあります。
ただ周りにいる営業の人はただ単に口がうまいだけでなく、全体を見て、配慮しつつ、関係性を見極めてすごく上手に意思決定しているように見えます。営業というと飛び込み営業とかオラオラ営業とか体育会系のイメージが少なからずありますが、本当に営業ができる人は人格者です。
営業素質がないと
一方、僕が口が下手です。営業素質がありません。つまり人格者でもないです。仕事では遠慮したり、申し訳なく思ったりして、うまいこと言えなかったりすることがあります。これを伝えるとネガティブな反応があるんじゃないかと思うと言うのを控えてしまったりもします。そいうったことが原因で自分が不利な状況になったり、仕事でトラブルが起こったこともありました。
僕個人は、仕事では口が下手なのは致命的だと感じていますが、自分自身の他の側面でカバーしたり、チームで動いて他の人に助けてもらったりしながらなんとか仕事ができています。
あらゆる意思決定に人格が反映される
だからこそ営業素質のある人には感服していしまいます。ある時、上司にお客さんに謝罪するメールを作成するように言われて作成しました。謝罪系は割と得意なので、修正なしでいけるかと思いきや、上司が作ったメール文は自分の立場も守りつつ、絶妙な謝罪バランスで文章が構成されていて、脱帽してしまいました。
また営業素質のある人は、会社間の関係のバランスや人間関係の緊張感を正確に感じ取り、うまく言葉でコントロールします。ちょうど、見えない手綱をもっているかのように、考え抜かれた完璧なストーリーのとおりに進めることができるのです。あらかじめ明確な着地点があり、さらに着地点がずれそうになった時の別の着地点も用意しているのです。
イエス様が共にいれば
イエス様は福音を人々にのべ伝えましたが、生粋の営業素質のあるお方でした。当たり前のことですが人格者でした。初対面の人ともすぐに本質的な会話ができる魅力がありました。また、正義と悪に対する妥協はなく、勇気も権威もあるお方でした。
そして、イエス様は共にいてくださるとおっしゃっています。だから、たとえ僕に営業素質がなくても人格者じゃなくてもイエス様が共にいてくださるならば、恐れることもないし、心配することもないと思いました。