先延ばしの悪影響
お盆の期間中、ずっと左肩が痛かったのですが、寝たら治るだろうと思って放置していました。ただ4日経過しても全く直る気配がなかったので、勧められてロキソニンの湿布を貼って寝たら、あら不思議、翌日には完全に痛みがなくなっていたのです。
自分を顧みてよく「なぜもっと早くしておかなかったのか?」と思います。歯医者にしろ、接骨院での治療にしろ、早ければ早いほどいいに決まっています。たとえ、我慢できないほどの苦痛を感じていないとしても、必ず、認知が奪われているはずです。「ちょっと痛いな」とか「気になるな」とかいう認知も積み重なれば意外とかなりの無駄になります。
また、早く行けばいくほど症状の進行を抑えられます。そうすれば、治療回数も減らせて金銭的メリットもあるかもしれません。
なんでも早く着手するのがよい
仕事も全く同じです。早く着手して終わらせれば、「あーやらないといけない」という認知を取られないで済みます。また、早くやって悪いことは一つもなくて、先手を打っていれば仕事が有利に進められることばかりです。
早く着手することはメリットしかないのは頭ではわかっているのに、なぜか、僕は先のばしにしたくなってしまいます。「わかっちゃいるけどやめられない」の状態です。こういった体にしみ込んだ先延ばし癖は色々なところで悪影響を及ぼします。
聖書はどういっているか?
こういったことは、ただの仕事術にとどまらず、聖書においても、すぐに「今」ということが大切だと書かれています。
神はこう言われる、
「わたしは、恵みの時にあなたの願いを聞きいれ、
救の日にあなたを助けた」。
見よ、今は恵みの時、見よ、今は救の日である。
コリントⅡ6:2
だから、聖霊が言っているように、
「きょう、あなたがたがみ声を聞いたなら、
荒野における試錬の日に、
神にそむいた時のように、
あなたがたの心を、かたくなにしてはいけない。
へブル3:7-8
ディスペンセーション主義という時代を区分する神学があります。罪による堕落前の無垢の時代、律法の時代やこれからの天国の時代などが分けられているようです。その考え方の是非はおいておいておくとして、区分法だけを見ると今は恵の時代だそうです。
僕自身も今は恵の時代だと信じています。イエス・キリストの十字架の御わざにより、信仰によって義とされて、神の愛の関係の中に入らせていただくことができているからです。
律法の時代は行いによってでしか義と認められませんでした。もし、あなたが今、自分はできている、守れている、まともな人間だと思っていたとしても、それは環境に守られているからであり、それは与えられているものに守られているにほかなりません。
だからこそ、今は恵みの時なのです。イエス様の恵みを遠慮することなく心から受け取って感謝して生きようと思いました。