0375_教会から離れた奴は負け組、不信仰者、霊的落伍者?!

嬉しい出来事

先日、数年会っていない友人と連絡をとり、彼が最近結婚したことを聞いて、昨日からとびきり嬉しい気分が続いています。彼は数年前から教会へは来なくなったのですが、それでもずっと友達です。教会は救われた者たちの神の家族と言われており、特に霊的なつながりを大切にしています。では、ある人が教会に来なくなった場合、その人は神の家族から外れるのでしょうか?霊的なつながりから外れるのでしょうか?

僕は決してそうは思っていません。どんな状況であれ、相手がどう思っていても、神の家族だと思い続けています。共に奉仕したこと、共に夜遅くまで日本の救いのことについて熱く語りあったこと、その他しょうもないことすべて、大切な記憶として残っているのです。

教会の入ると出る

教会によっても違うと思いますが、教会のメンバーは時間の経過とともに変化すると思います。もしかしたら、ある教会は固定的なメンバーで運営されているかもしれませんが、教会は比較的流動性が高い組織だと思います。福音宣教が教会の最大の働きである以上、「入る」が多いのが理想的で健全だと思います。

もちろん「入る」だけでなく「出る」もあります。様々な理由で教会から出る人もいるでしょう。進学・就職・転職などの節目のタイミング、または、個人的に色々思うところがあって出る場合もあるかもしれません。

出た者に対する印象

この「出る」ですが、進学・就職・転職などの節目のタイミングではない場合、どうも教会に残っている側からすると、「教会を離れた」という表現になり、そして、信仰から離れてしまったという印象が強くなるようです。

その人と神様との関係は、誰にもわかりません。それを一方的に教会から離れるイコール信仰から離れてしまった。あるいは、霊的に落ちたなどと論ずるのは、神様を差し置いて、先に裁いてしまっているように思うのは僕だけでしょうか。

もちろん、僕個人のことを言えば、教会なしではやっていけません。僕は強い信仰を持っておらず、すぐに日常の引力に負けて、安きに流されてしまうからです。だから定期的に教会で礼拝し、プロによって調理された霊的料理を頂いたり、兄弟姉妹との関係が必要になります。僕自身は教会が絶対に必要派ですが、内村鑑三が無教会主義を提唱していたように、それぞれに事情があるのかなと思います。

僕はただ、教会から出たら、その人とはさようならではなくて、ずっとその人と関わりをもっていきたいのです。なぜなら、ずっと変わらない大切な大切な神の家族だからです。

おっさん
■教会に残った側からすると教会から出た人は不信仰者と思われがち
■しかし、その人と神様との個人的な関係のことは誰にもわからない
■だから、先走って裁かないようにしよう

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