嬉しい出来事
先日、数年会っていない友人と連絡をとり、彼が最近結婚したことを聞いて、昨日からとびきり嬉しい気分が続いています。彼は数年前から教会へは来なくなったのですが、それでもずっと友達です。教会は救われた者たちの神の家族と言われており、特に霊的なつながりを大切にしています。では、ある人が教会に来なくなった場合、その人は神の家族から外れるのでしょうか?霊的なつながりから外れるのでしょうか?
僕は決してそうは思っていません。どんな状況であれ、相手がどう思っていても、神の家族だと思い続けています。共に奉仕したこと、共に夜遅くまで日本の救いのことについて熱く語りあったこと、その他しょうもないことすべて、大切な記憶として残っているのです。
教会の入ると出る
教会によっても違うと思いますが、教会のメンバーは時間の経過とともに変化すると思います。もしかしたら、ある教会は固定的なメンバーで運営されているかもしれませんが、教会は比較的流動性が高い組織だと思います。福音宣教が教会の最大の働きである以上、「入る」が多いのが理想的で健全だと思います。
もちろん「入る」だけでなく「出る」もあります。様々な理由で教会から出る人もいるでしょう。進学・就職・転職などの節目のタイミング、または、個人的に色々思うところがあって出る場合もあるかもしれません。
出た者に対する印象
この「出る」ですが、進学・就職・転職などの節目のタイミングではない場合、どうも教会に残っている側からすると、「教会を離れた」という表現になり、そして、信仰から離れてしまったという印象が強くなるようです。
その人と神様との関係は、誰にもわかりません。それを一方的に教会から離れるイコール信仰から離れてしまった。あるいは、霊的に落ちたなどと論ずるのは、神様を差し置いて、先に裁いてしまっているように思うのは僕だけでしょうか。
もちろん、僕個人のことを言えば、教会なしではやっていけません。僕は強い信仰を持っておらず、すぐに日常の引力に負けて、安きに流されてしまうからです。だから定期的に教会で礼拝し、プロによって調理された霊的料理を頂いたり、兄弟姉妹との関係が必要になります。僕自身は教会が絶対に必要派ですが、内村鑑三が無教会主義を提唱していたように、それぞれに事情があるのかなと思います。
僕はただ、教会から出たら、その人とはさようならではなくて、ずっとその人と関わりをもっていきたいのです。なぜなら、ずっと変わらない大切な大切な神の家族だからです。
■しかし、その人と神様との個人的な関係のことは誰にもわからない
■だから、先走って裁かないようにしよう