プレッパーという生き方
最近、プレッパーという生き方が注目されているようです。もともとミニマリストの生き方をしていたのですが、このプレッパーという考え方も非常に共感するので、生活にとりいれたいと考えています。
「プレッパー(prepper)」とは「prep」(=準備)と「er」(=する人)からくる造語であり、現在あるライフライン(電気・水道・輸送etc. 生活維持に必要不可欠なもの)が災害や人災によって破綻した場合に備えて、食料や生活用品、自衛のための銃火器などを備蓄する(=プレッピング=prepping=)人々を指します。
ミニマリスト時代に使っていた道具のほとんどはキャンプ道具であり、何かあった時に役に立つものばかりです。収納性に優れた鍋やコンロや食器、さらには寝袋やテントまで居住空間が失われたとしても、数日は行きていけるような道具を揃えていました。今では、南海トラフ巨大地震に備えて、下記アイテムも常備しています。
- 7年保存可能な水2L*12本
- 5年保存可能なパン*24個
- 電灯つきラジオ
- 簡易トイレ
- ほっかいろ
- 水のいらないシャンプー
- ウェットティッシュ
- レインコート
- ヘルメット
- ローソク
広域災害の時は、行政に頼ることはできないので、ある程度、数日間は生活できるようにしておいたほうがよさそうです。
日本で実際的に使える物
一方で用意していないのが、自衛のための銃火器です。それこそ、アメリカのドラマの「ウォーキング・デッド」のようにゾンビがいたり「フォールアウト」のように核戦争後の荒廃したアポカリプス的な世界で生きる場合、自衛のための武器は必要になると思いますが、日本では法律に抵触するためよく考えたほうがよさそうです。
例えば、夜間に襲われた時は、フラッシュライトなどが有効です。数万〜数十万ルーメンの強烈な光を出すことができるライトで目くらましに使うことができます。ただし、昼間では全く無力になります。しばらく、アマゾンなどで、鉄の入ったチョッキ、盾などの装備品やエアガンを防衛手段として使えないか本気で検討しましたが、今の段階では必要ないとおもい、とりあえず、購入をやめました。
血肉に対する戦いではない
聖書における戦いは血肉に対するものではなく、もろもろの支配と権威と闇の夜の主権者、悪の霊に対する戦いであると書かれています。クリスチャンになると、独特のなんとも言えない強烈な心の不安や恐れを感じることがありますが、イエス・キリストによって必ず勝利できる体験を繰り返し続けます。そのために無防備で闘うことは不可能であり聖書には旧約聖書より神の武具というものを身につけるように強く推奨されています。パウロがエペソの人に書いた手紙には6つの武具を身につけるように書かれています。
- 真理の帯
- 正義の胸当
- 平和の福音の備え
- 信仰のたて
- 救のかぶと
- 御霊の剣
新約聖書で初めて書かれたわけではなく、旧約聖書のあちらこちらに、こういった正義の胸当てや救いのかぶとといった表現がでてきます。聖書の人物たちはこういった武具を身に着けて信仰の戦いをしていたのだと思います。
イエス・キリストはこうおっしゃいました。
また、からだを殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、からだも魂も地獄で滅ぼす力のあるかたを恐れなさい。
マタイ10:28
すごく端的です。実際の血肉の戦いで身を守ることに心配するのではなく、天上において生も死も支配し、永遠の魂を守る戦いをしなさいということです。