0113_何を待ち望んでいるかその人の価値観がわかる

2週間ほど前からベランダにひょこっと現れていた猫親子の姿もすっかり見なくなりました。たまにベランダを開けますが、走り回っていた子猫や、どすんと腰をおろした母猫の姿もありません。たまにベランダの扉をつい開けてしまうのは猫親子を待ってしまっているのでしょう。

また、仕事の関係で始めたスマホゲームも業務以上に時間を浪費してしまっています。ログインボーナスがあって、つい、毎日ログインしたり、○○達成すると○○プレゼントみたいなイベントにも参加してしまいます。

そういった少しの自分の行動の変化の表れに気づくことによって、心をイエス・キリストへと引き戻さないといけないと思わされます。おおよそ、こういった性質のものは、「わかっちゃいるけど、やめられない」ものです。

ですから、そんな生活を送る中で、わたしにとって「本当に大切なことに集中する」時は日曜日になります。猫も忘れて、スマホゲームも忘れて、自分が大切としてる価値観に重きをおいて過ごします。

クリスチャンは神を待ち望みます。聖書にはこのように書かれています。

しかし主を待ち望む者は新たなる力を得、
わしのように翼をはって、のぼることができる。
走っても疲れることなく、
歩いても弱ることはない。
イザヤ40:31(口語訳)

そして、このようにも書かれています。

そして彼らに言った、「あなたがたは去って、肥えたものを食べ、甘いものを飲みなさい。その備えのないものには分けてやりなさい。この日はわれわれの主の聖なる日です。憂えてはならない。主を喜ぶことはあなたがたの力です。
ネヘミヤ8:10(口語訳)

主を待ち望み、主を喜んで、新たなる力を頂くことです。

神にはなんの問題もありません。聖書にもなんの問題もありません。問題があるのはわたしたちのほうです。ですから、週のはじめの日に、もう一度、真剣に主を求めて、新たなる力を頂いて、主を喜びたいと思います。