会えばわかること
学校や職場における人間関係の中で、「もしかしたら、あの人の気を悪くしてしまったんじゃないかな?」とか思うことがあっても、いざ会ってみると全然気にしていないように思うことがあります。
会えばわかることがあります。一方、今はビジネスにおいてはオンラインは当たり前になりました。ビジネスにおいては合理性が求められるので、感情を抜きにして情報の伝達が正確に行われればそれでOKです。だからオンラインでも支障はありません。(もちろん、セールスなどに関しては感情も重要になってくると思います。)
知人、友人関係
しかし、知人、友人関係はオンラインじゃつまらないです。コロナ禍で何回かオンライン飲み会的なことをしたことがありました。1回やってみてその場は楽しいと思ったのですが、じゃあ2回目があるか?と聞かれたらなかったです。それはみんな同じだったと思います。しょうがないからオンラインで会っているだけであって、人と人の関係は対面に限ります
そしてこの事実は神さまとの関係とも同じです。神さまとの関係がビジネスのようにトレードするようなものであればオンラインでいいかもしれません。しかし、友人知人関係のような感情の上に成り立つものであれば、対面しか選択肢はないのです。
神さまとの関係における「対面」
じゃあ、神さまとの関係における「対面」とは何を意味するのでしょうか。それはクリスチャンであれば耳にタコができるほど聞いてきたことです。一つは聖書です。一人座って聖書を開き、ページをめくりながら、神さまと向き合うのです。「神さまに会いたい」、「神さまのことを知りたい」、「神さまともっと良い関係でいたい」という動機で読むならば神さまは、きっと語りかけてくださると信じています。
二つ目は祈りです。一人座って主の前に静まります。祈りのバリエーションは思っている以上に多いです。声を出すこともあれば、ただ静かに主に思いをはせるということもあるでしょう。御言を宣言することもあれば異言の祈りもあるでしょう。
三つ目は賛美です。これは礼拝です。ここで強調しておきたいのが、以前も書きましたが、賛美を聴いて礼拝した気になってはいけないということです。賛美を流すのであれば、自分の口からその賛美が歌詞として出されなければなりません。それこそが能動的な賛美だと思っています。
霊魂はすべてのものの土台
「最近なんか調子悪い」、「なんか気が晴れない」、「なんか心に平安がない」、「なんかしんどい」
そう思った時、身体、精神、霊魂のいずれかが原因であるはずですが、多くの場合は霊魂です。なぜなら、霊魂はすべてのものの土台だからです。だからそう思ったら対面で神さまに会うしかありません。こんなことを書くのは今日僕がそのように思っているからです。今日は家に帰る前に寄り道して聖書を読んでから帰ろうと思います。
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