主が癒し主であることを信じる信仰はどこから来るのか? | 最大の奇跡

神様との関係

今日も昨日に引き続き、奇跡のことを書きます。僕にとって終止論、継続論はどうでもいいことです。なぜなら、僕と神様との関係のことだからです。すべては聖書の言と自分と神様との関係が明らかにしてくれます。

昨日は絶望の中で慰めと希望を見出すことができることも奇跡だと書きました。今日はもっと偉大な奇跡について書きます。

聞くことによる

そもそも「主は癒してくださるお方だ」という信仰はどこからくるのでしょうか。それは聖書にあるとおり、聞くことにより、聖書の言葉からきます。しかし、それだけではありません。なぜなら、聖書の言葉を信じるには二つのことが必要だからです。

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一つは霊によって聖書を読むことです。聖霊によらなければイエスは主であると告白できないことと同様に、聖霊によらなければ主が癒し主であるということを信じることはできません。

救われている

二つ目は自分自身が救われているということです。救われた人なら必ずわかります。これは主の奇跡だと。なぜなら、どれだけ自分で頑張っても、人の助けを得ても、自己啓発、セミナー、読書、能力開発をしても罪からは逃れることができなかったことを知っているからです。

主はそれらを十字架の血潮で現実のものとしてくださいました。その証拠はどこにあるのでしょうか。それは自分自身です。全く変わった自分が奇跡そのものであり、まさに主の生き証人なのです。主が救ってくださったことこそが自分にとっての最大の奇跡です。

救い出してくださった方なら

だから救われた人はこう思います。「罪のどん底から僕を救い出してくださった方なら、病気を癒すことなど簡単だ」ということです。もちろん、救われても主と共に生き続けていることが重要です。この御言は極めて重要です。

ヨハネによる福音書 15:7
あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたにとどまっているならば、なんでも望むものを求めるがよい。そうすれば、与えられるであろう。

主の御言を実行することは何よりも重要です。そして僕は自分をこの厳しい御言で戒めます。

ヨハネの第一の手紙 5:3-4
神を愛するとは、すなわち、その戒めを守ることである。そして、その戒めはむずかしいものではない。
なぜなら、すべて神から生れた者は、世に勝つからである。そして、わたしたちの信仰こそ、世に勝たしめた勝利の力である。

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