1914_ワーシップソングの正の面と負の面 | 恵まれている気になっている危険性

教会音楽

キリスト教会には何百年と謳われ続けている伝統的な聖歌や賛美歌、またプレイズやワーシップというものがあります。聖歌には「アメージンググレイス」や「慈しみ深き」など一般的に知られている曲が多くあります。プレイズには小坂忠先生のミクタムレコードから出ている曲などが含まれます。ワーシップソングの代表格で言えば、Hillsongでここ30年ほどペンテコステ派の教会を中心に広まってきました。

ざっくり説明すると、聖歌は伝統的。プレイズは神のなさったことを喜んでほめたたえる、明るい、アップテンポな曲が多いです。ワーシップソングはしっとりした曲、深い祈りの雰囲気の曲が多く神ご自身を礼拝しひれ伏すという内容が多いです。

ワーシップソングの正の側面

多くの海外のメガチャーチでは礼拝の中でワーシップソングが必ず謳われています。それは、そこに主が深くご臨在され、主と深く交わり、主の愛の中に浸されるという非常に霊的で濃厚な体験ができるからです。ここで大切なのは、ワーシップソングそれ自体や曲調やバンドスタイルではありません。

大切なことの一つ目は「正直か?」です。主は真実な心を求められます。もし思ってもいないような歌詞で賛美するならそれは偽りの心になってしまいます。二つ目は「その正直な心を注ぎ出しているか?」です。心を注ぎ出す賛美は霊的な礼拝に繋がります。

ワーシップソングの本質

逆を言えば、いくらワーシップソングで主を賛美しても、そこに正直な心も注ぎ出す心もなかったら主の深い臨在はないのではないか?というのが僕の考えです。そしてワーシップソングは罪が赦された者にしか絶対に賛美できません。それは多く赦された者は多く愛するからです。ワーシップソングとは主への愛の表出なのです。

しかし、僕はここでワーシップソングの負の側面もあえて書きたいと思います。それはワーシップソングがあまりにも人間の感覚に訴えすぎるという側面があるからです。僕は昔ワーシップソングに依存していた時期がありました。聖書も祈りもデボーションもしなくてもワーシップソングだけ聞いていればそれなりに恵まれるので、それこそが自分の霊的な状態だと勘違いしていたからです。

ワーシップソングの負の側面

しかし、注意しなければなりません。それは恵まれているのではなくて、ただ単に感覚が満足しているだけの可能性もあるからです。僕はそのことに気づいてから、ワーシップソングを聴くということを完全にやめました。

当然のことながら、ワーシップソングは聴くものではないからです。少し間違えば「ワーシップソングだけ聴いていればいいよ」という誘惑の声に屈してしまいます。大切なのは絶対的に祈りと御言です。そのため、そこの自分の素直な心も注ぎ出す心もないのなら、絶対にワーシップソングに依存はしてはいけないと思っています。

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