1867_感謝の心の秘訣 | 本当に当たり前のことではないことを体験した時

クリスチャン生活の秘訣

恵まれたクリスチャン生活の秘訣に喜ぶこと、祈ること、感謝することがあげられます。なぜなら、これは神様が僕たち一人ひとりに求めておられることだからです。ただたんに「そうしてほしい」と望んでおられるのではなく、「しなさい」と求めてるのです。

テサロニケ人への第一の手紙 5:16-18
いつも喜んでいなさい。
絶えず祈りなさい。
すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって、神があなたがたに求めておられることである。

感謝する事

親になってわかったことがあります。それは、もし自分の子供が「こんな人生終わっている」とか「毎日全然楽しくない」とか「嫌なことばっかりだ」と言っていたら、親として胸が締め付けられて心が痛むということです。天の父は喜ぶこと、祈ること、感謝することを切に求めておられます。

先日までは祈りについて書いてきましたが、今日は感謝する事に関して書こうと思います。僕は感謝する事に関してまだまだ未熟ですが感謝するコツみたいなものは少しわかってきた気がしています。

当たり前のことではない

まず感謝の心ということは、ぼーっと生きているだけでは生まれないということです。ただ頭の中で、それが当たり前のことではないとだと知るだけで感謝の心が溢れてくるものです。これは信心関係なく誰でもそうです。お米の価格が高騰した時に、一粒のお米のありがたさを身に染みて感じる、そのようなことです。

しかし、それはあくまでも頭の中で処理されることです。こと霊の領域においては霊において教えて頂かなければなりません。それは聖霊の働きによるものです。しかし、それも導かれたり、教えられたりするために求める必要があると感じています。

もし救われてなかったら

僕はよくこのように考えます。それは、「もし救われてなかったら」という自問です。これは霊的な問いかけです。もし主によって魂が救われていなかったらと考えると、事情に恐ろしい自分が頭に浮かんできます。それは救われる前の自分とその人生と救われてからの人生が白黒きっぱり違うからです。

もし自分が救われてなかったら、ここに書くのも憚れるくらいの人生を送っていたと思っています。激昂タイプの人間、かつ依存症になりやすい人間、この二つだけで十分でしょう。僕は救われていなかったら、大げさではなくて破滅の人生を歩んでいたと思います。

本当に当たり前のことでないこと

だから、この問いを自分に投げかける時に僕の心にはいつも主が救ってくださったことに関する感謝が溢れます。なぜなら、魂の救いこそが決して当たり前のことではないからです。イエス様の尊い血潮、天のお父様のひとり子を惜しむことなく捧げてくださった愛の犠牲があったからです。

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