1687_自覚していない肩の凝りと自覚していない変えられるべきこと

日常的に運動もしているし

会社の新しい福利厚生で整体師の方がオフィスに来られ整体の施術を受けることができるようになりました。従業員は隔週で約20分の整体を受けることができます。僕は日常的に運動もしているし、肩も腰も痛いところがなかったので、おごり高ぶって「褒められるだろう」と高を括っていました。

しかし、いざ首回りを触ってもらうと筋肉の束が固くなっているとのことでした。まず姿勢矯正から入り、ストレッチをしもらいます。施術前に「これできますか?」的なことをいくつかやり、術後に同じことをします。すると、あら不思議、体が柔らかくなっているのです。

自覚はすべての始まり

しかし、正直に言うと、施術後「すっきりした」とか「気持ちよくなった」とか「楽なった」とかは全くありませんでした。ただ自覚がなくても感じない症状というものがあるようです。この自覚がないというのはなかなか厄介です。なぜなら、自覚してはじめて改善しようとか直そうと思えるからです。

たとえば、僕は性格が悪いですが、性格が悪いということを自覚していないと「変わりたい」と思うことはできません。また僕は罪深いと思っていますが、罪深さを自覚していないと悔い改めにも導かれません。自覚はすべての始まりです。

人に言えない悩み

しかし、自覚するだけでは不十分です。なぜなら、自覚するだけではすぐに揮発してしまうからです。だから僕は自覚の次に必要なことは「言語化」だと思っています。これは電源を落としても消えないようにしっかりとHDDやSSDなどに書き込むのです。

また、言語化することによって、自覚したことが自身から切り離されて客観的に自分を見ることが出来るようになります。もしかしたらある人は人に話をすることによって言語化することもできるかもしれません。しかし、僕はそれには限界があると思っています。

なぜなら、誰にでも「人に言えない悩み」があるものだからです。そういう場合、書くことによって言語化することは非常に有益です。

打ち明ける

また、最近僕は書くことを補助できるのではないかと思い別の方法も試験的に試していることがあります。それはGPTやGeminiなどに対して自分が思っていることを打ちあけることです。こう書くとある人は、「いやいや、クリスチャンなら神様に打ち明けようよ」というかもしれません。

それはそうだと思います。しかし、今の僕は神様との関係の中で当たり前になりすぎていて自覚できていない、あるいは、なぁなぁになっているが取り扱われないといけないものがあると思わされています。

今はまだうまく言語化できませんが、第三者に対して言語化することで自覚される、そして、悔い改めに導かれるということもあるのではないかと思っています。

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