精度の高い意思決定
先日は、気が張っているということは常在戦場の意識であり、精度の高い意思決定につながると書きました。実体験からもこれはそうだと思います。しかし、気はいつまでも張り続けることはできません。気を緩めて休息をとり、羽を伸ばすことをしないと、遅かれ早かれ音を立ててプツンと切れてしまいます。
気を休めることは当たり前のように必要です。聖書に書かれているとおり、人間にとっては御翼の陰で休むことであり、戦場から逃れて高きやぐらに逃げ込むことと同じです。だから、よい意思決定の前には必ず主との交わりがあると信じます。
長期視点で見る
次に、精度の高い意思決定をするための普遍的なマインドは、長期視点で見るということだと思います。人生における意思決定は究極のところ、今自分の欲を満たすのか?それとも未来における自分のありたい姿を目指すのか?だと思うからです。
今、目の前にあるドーナツを食べたら太る、でも食べなければ理想的なスタイルが手に入るという状況は典型的です。朝、惰眠をむさぼりたいという思いと起床して勉強すればキャリアが開けるというのも同じです。
「永遠」という視点
つまり、長期視点で見れば意思決定の質や精度は必ず上がっていくということです。意思決定の精度が上がれば人生が広がっていきます。つまり、人生に詰むということを避けられると思います。
聖書は人間に対して長期視点どころか、時間軸を超越した「永遠」という視点から物事を見るように教えています。誰でもクリスチャンであれば、神の御心が知りたいと願っていると思います。しかし、たとえ、御心がわからなくても「今自分がしていることは永遠に残るものなのか?」と自問すれば、答えが出てくることがあります。
「永遠」という視点で意思決定するために
長期視点は意思と理性の働きによって対処できます。しかし、永遠という視点に関しては意思と霊に働きによるものです。つまり、自分の意思や努力だけで永遠という視点で意思決定はできないのです。
永遠という視点で意思決定するのであれば、まず意思によってこう告白することだと思います。
「主よ。私は自分の理性や力で永遠の視点から意思決定することはできません。私はあなたに降伏します。」
そして、次に霊によってこう告白することだと思います。
「しかし、主よ、あなたの霊が私に満ちる時、私は永遠を知ることができます。どうかあなたの聖霊を豊かに私に満たしてください。」













