緊張状態
ここ一か月ずっと緊張状態におかれていました。緊張状態に置かれているとあらゆる面で普段よりもパフォーマンスが上がります。それは霊的な側面においても、日常の様々な側面においても、良い影響をもたらします。それは常在戦場という意識のもと、研ぎ澄まされた状態だからだと思います。それにより仕事も家事も祈りの生活も普段よりもよい状態で取り組むことができていました。
しかし、今回分かったことはずっとその緊張状態を維持費し続けることはできないということです。どこかで支障をきたすようになります。緊張状態にあるものが一気に弛緩するか、最悪の場合は、プツっと音を立てて切れてしまうというようなこともあるでしょう。
意識を弛緩
僕はこのままではプツっと音を立てて切れてしまうと思ったので、一人の時間をとるようにしました。それは祈りの時間はもちろんのこと、買い物がてら散歩に行ったり、ゆっくりお風呂の入ったり、本をゆっくり読むという時間を取ることでした。それは緊張状態から大きく意識を弛緩させる作用をもたらしてくれました。
僕はとても意外に思いました。なぜなら、本を読んだり、散歩することは霊的側面に対してはニュートラルだと思っていたからです。しかし、改めて教えられたことは人は魂、身体、精神をもっているので、そのすべての相互作用のもとで状態が決まるということでした。
普段の状態に戻しておく
聖書でない活字がなんになるのか?とも思っていましたが、1か月振りに読み始めると、気づいたら3時間も経っていたというようなこともありました。そして、僕は数日かけて普通の状態に戻ることができました。
今はここ数か月経験した緊張状態にはありません。しかし、いずれまたやってくる可能性のある緊張状態に対して初期対応を余裕をもってあたれるように普段の状態に戻しておくことができてよかったと思っています。
インターフェイスを通して主の栄光が表れる
僕たちの魂の天のふるさとにおいては霊こそが最も大切だと思います。そして、この地上で生きている限りにおいても、確かに霊が一番大切ではあります。しかし、他の身体も精神も大切です。なぜなら、この身体や精神がこの世界と相互作用するためのインターフェイスになっているからです。
主は現時点は肉体をもってこの地上にはこられません。しかし、御霊を豊かに注いて主は現れてくださいます。そして、僕たちのこの身体、精神、魂というインターフェイスを通して、主の栄光を表してくださるのだと思います。だから、この地上で生きているうちは身体も精神もないがしろにせずにちゃんと気を使ってあげないと、と思いました。