裏山に一人で
今日は先日ブログで書いたとおり母教会の裏山に一人で祈りに行ってきました。
裏山に行くには電車を3回乗り換えて2時間ほどかけていく必要があります。実を言えば前日くらいには「まぁ祈るんだったら家の部屋でもいいかな」という思いも少しありました。しかし、前日の金曜日はある出来事がきっかけで、自分でも引くくらい自分自身が嫌になってしまい、ネガティブな感情に支配されつつありました。そうなると、本当に祈るしかないと思わされたのです。こうなると行かない決断はできません。
イエス様に受け入れられている
土曜日はいつものように午前中は教会に行って週報の作成の奉仕をします。それが終わってから昼前くらいに家を出ました。いい天気で風も心地よくて祈るには最適な日だと思いました。2時間の道中も聖書をアプリで読みながら心を祈りに備えました。
母教会の最寄り駅に着いた時、地元の見慣れた風景が僕を迎えてくれて心が安らぎました。「今日は裏山で祈るために備えられた日だ」と確信しました。ジブリのアニメ「ラピュタ」でラピュタが飛行石をもっていた者たちを受け入れるために晴れていたように、僕もイエス様に受け入れられていると思ったのです。
深い祈りに集中
それから教会の裏山に行っていつも祈っていたように祈りました。あたりは鳥の鳴き声、風の音、風で揺れ動く葉のすれる音以外は何も聞こえません。ここは本当に誰にも邪魔をされない僕とイエスさまだけの個人的な空間です。
本当にリラックスして祈ることができました。ここまで深い祈りに集中できたのは数年振りだと思います。日常生活にも祈りは取り入れています。しかし、やはり集中はしきれないのです。たとえば、朝祈るにしても、こどもがいつ起きて急に入ってくるかもしれません。また自分の部屋はやはり日常からは切り離されておらず、祈りの場として成立はしていますが、ベストではないのです。
語りかけ
今回は2時間ほど祈りました。祈りの間ずっと立ったままでしたが、足は全く疲れませんでした。祈りに集中する中で自分の罪の悔い改め、十字架によって確かに罪が赦されていることを確信しました。また聖霊によって心が聖められていることも体験しました。周りの人に対するとりなしの祈りも十分にできたと思います。何より多くの語りかけも頂きました。
たとえば、祈りの中で「疎遠になっているあの人に連絡しなさい」と語られたら、その場でスマホを開いて連絡をしました。それで3人くらいに連絡をして約束をすることができました。自分にもいくつか語りかけがありましたがそれは明日に続けようと思います。