金銭的な対価がある
昨日はOpenClawについて書きました。色々調べてみましたが体感的に情報の90%以上は、それを利用することで楽になる、金銭的な対価があるという紹介ばかりでした。自身の業務をAI秘書にさせる、コンテンツを作らせる、副業で使える、そういった内容ばかりです。
確かにお金が増えるにこしたことはないです。お金は大切です。しかし、そうじゃないと思うというのが僕の感想です。僕自身はAIを利用せざるを得ない業界に身を置いており、AIの恩恵も受けています。しかし、AIに対しては全く熱狂はしていません。
非効率、遅さ、雑さも必要
むしろ、自分が退化しないようにAIを利用しようと必死に抗っています。最近では「あーこの動画AIに作らせたやつ」とか「このブログもAIに書かせている」というのがよく目につきます。早く正確な情報が得られるという目的が達成できるのでれば、AIだろうが人だろうが、誰が書いても問題ありません。
しかし、人間は何もいつもでも効率、即効、正確さを求めて生きているわけではありません。人生には非効率、遅さ、雑さも必要です。だからこのブログはどれだけ駄文で読みにくて大した情報がなくても人が書いているということに重点を置きたいと思っています。これは僕のささやかなAIへの抵抗です。
人間として退化しない
昨日はOpenClawを自分の習慣化の手助けをするために使いたいと書きました。これは普段の学びや信仰生活、地域での活動に大いに役立つと思っています。そこに金銭的な対価は一切ありません。人間として退化しないために人間にしかできないことを続けたいというのが僕の強い願いです。
それは人間らしく考えること、じっと待つこと、あえて時間をかけることなどが含まれます。そして主権はAIではなく人間にあり、主体的、能動的、率先的、自律的に人間が動くという可能性を捨てたくないという強い願いです。
ディストピア的
ディストピア的な考えであり、持論になるのですが、AIは人類を間違った方向に導くと思っています。それは何も自立型のAI兵器が人間に反旗を翻すといったことではありません。また、AIが核ミサイルのボタンを押すと言ったことではありません。
単純に電気という大切なエネルギーをどうでもいい刹那的なコンテンツを享受するために大量に使う世界が異常だと思っているのです。それに自分もしっかり関与しており「お前が言うな」状態なのですが、このままではおかしくなると思っています。












