中国の家の教会が急成長した理由

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于建嵘氏の分析

中国の家の教会が急成長した原因は複雑で、多くの要因があると言われているが、中国社会科学院の于建嵘氏は、以下の8つの大きな要因があったと分析している。

  1. 宗教に対する餓え渇き
  2. 精神的欲求への目覚め
  3. キリスト教の教義内容
  4. 農村型教会の社会的役割①
  5. 農村型教会の社会的役割②
  6. 女性の家庭内での証
  7. クリスチャン2世の誕生
  8. 地方政府の政策転換

宗教に対する餓え渇き

中国建国以来、時の権力者は、無神論を基本とする共産主義を推し進めるべく、様々な方法や具体的政策によって、人民の伝統宗教に対する信仰を制御してきた。その甲斐あり、宗教信仰の有形的なものに対しては、大きな打撃を与えることができた。つまり、宗教施設や宗教に関する建築物や、宗教儀式に使用する道具などに対する破壊や制限などである。この時期、キリスト教以外の民間宗教、仏教、イスラム教などすべての有形的な宗教施設が破壊された。

宗教は中国から駆逐されたように見えたが、中国共産主義は人民の宗教に対する餓え渇き、精神の空虚など無形的なものを決して満たしてはくれなかった。その抑圧されてきた無形のものに対する莫大なエネルギーが爆発し、キリスト教が中国に広まり、その精神やその生命力は、乾いた大地が水を吸い込むように、人々の心のなかに潤しを与え染み込んでいった。

精神的な欲求への目覚め

改革解放後、部分的にではあるが、相対的に人々の生活水準は上昇し、物質的にも豊かになり、日常生活も社会活動も安定してきた。それにともない、精神的なものに対する要求も高まってきた。また、現在の中国は貧富の差が大きく、ほぼ二極化、さらに拡大傾向にあり、様々な社会問題が表面化している。そのような中、社会生活を営む中でやってくる精神的ストレスや苦しみから慰め、癒しを必要としている。

キリスト教の教義

急成長した最大の要因とされているのが、キリスト教が秘めているその強大なエネルギーである。キリスト教の教義の中には、以下のような内容がある。それは、キリストが復活し、天に上げられる際、キリストは、その弟子たちに全ての人に福音を述べ伝えるように宣言された。この命令は「大宣教命令」として受け入れられ、すべてのキリスト者はこの福音宣教にすべてのエネルギーを注ぎ込んだ。信徒たちがその福音を伝える時に、実際に不思議や奇跡が起こった。

特に農村では医療制度や医療設備が十分でなく、難病の前になすすべもない多くの病人は神のもとに来て、その癒しを求めた。そして、実際にその病が癒され、難病が回復する、その奇跡や力をともなった“証”が多くの農民を入信に至らせ、この“福音の力”が、農村部での教会成長に大きな役割を果たしたと言われている。氏の調査によれば、農村部のキリスト教徒の80パーセントが、「家族、または自身が病にかかっており、それゆえにキリスト教に入信した」と回答しているそうである。

教会が果たす社会的役割①

また農村型の教会の果たす社会的貢献が、多くの人々を入信に至らせたとも言われている。農村型の教会は主に、親族、仲のいい友人や知人で構成されており、農閑期は皆こぞって教会に集い、礼拝、交流などをする。特に教会が主催する音楽セミナー、勉強会、聖書研究などの活動は、娯楽に乏しい農村にとっては、大変大きな魅力であり、孤独な人たちは、これらの活動に喜んで参加したと言われている。

教会が果たす社会的役割②

農村型教会は団結力が非常に強く、相互援助、相互愛に富んでいる。教会内の教会外を問わず、誰かがなんらかの問題に遭遇した場合、すぐに愛の手を差し伸べ、実際的な援助を無償で施したりする。特に中央政府の政策は、生活保護受給者、身寄りのない老人、孤児などにまで十分に反映されておらず、そのために、底辺での苦しい生活を余儀なくされている人が多くいる。そのような人に対して教会が組織的に援助をしている。特に農繁期に、収穫が間に合わない農家に対しては、教会が収穫隊を組織し、収穫が予定通り終わるように手助けをする。

このような農村型教会が果たす社会的貢献が、多くの農民を教会に引き寄せる要因になったと言われている。

女性の家庭内での証

80年、90年代の農村のクリスチャンはほとんどが女性であった。一般的に中国の農村女性は家庭内での地位が非常に低く、夫や姑から不当な扱いを受けることが多い。ましてや、教会へ捧げ物、また教会へ奉仕をする際は、クリスチャンでない夫や姑から罵られたり、暴力を振るわれたりすることすらあった。そのような中にあっても、彼女らは家庭内で、黙々と家事をこなし、両親や子供の面倒をよく見る。

また以前の喫煙、飲酒、ギャンブルなどの悪習慣が変えられたりしたことが、家族に対してよき証になり、さらに、そのことが家族を次第に感化していき、結果的に家族全員がクリスチャンになったという家庭も多いと言われている。

クリスチャ2世の誕生

現在、農村においても若年層のクリスチャンが増加傾向にあり、その多くがクリスチャン1世から信仰継承した人たちである。その中の多くの者は、幼い頃から無意識のうちにキリスト教の教えに触れ、知らないうちに信仰するようになったという人が多い。しかし、中には同年齢の人に笑われるのが嫌で、信仰告白をするのを避けたり、礼拝にもあまり参加しない人もいるようだが、多くの者が、このような見えない社会的な圧力の中でも、友人知人に福音を伝えたりして奮闘している。

特に婚期に入った若者は、結婚相手をクリスチャンから選ぶ、ないしは未信者の恋人に入信してもらい、共に同じ方向性、価値観を有して共同生活をすることを望んでいる。

地方政府の政策転換

政府の家の教会に対する監督監視が弱まり、教会に対する対応が比較的寛容的になった。以前、地方政府はクリスチャン人口が増加することを恐れていたが、現在では、それを押さえ込むのではなく、より調和した社会、安定した社会を実現させるために、教会をより管理しやすくできるように方向転換をした。

例えば、もし農村に50人規模の教会があれば、宗教管理局の幹部は教会員に連絡し、率先して教会堂を立てるように指導する。そして、礼拝堂建設後は、「両会」の指導者に教会指導をさせ、教会運営に間接的に関わり、管理しやすいような組織を作ろうとしている。

「両会」とは、中国基督教三自愛国運動委員会、中国基督教協会の二つの組織のことである。つまり、三自愛教会の指導下に入れば、礼拝堂を建てられるようになったということである。

このような政策空間の隙間から、雨後の竹の子のように多くの教会堂が建てられるようになった。礼拝堂建設にあたっては、教会内に一定数の信者がいないと教会堂を建設できないため、各家の教会は、自分の住む地区に教会堂を建てるべく、以前にも増して宣教に燃え、積極的に信徒数を増やしている。

以上が中国社会科学院 于建嵘氏の分析である。

文化大革命の大迫害の中でなぜ増加したのか

なぜ迫害の中で、反対にキリスト教徒が増加するのかという、疑問に対して、氏は以下のような分析をしている。キリスト教の教義の中には“贖罪”の教えがあり、たとえ、迫害を受け、不当な扱いを受けたとしても、基督教はその相手を「赦す」ように求める。キリスト教徒は相手を赦すことができるように神に祈る。そのため、迫害が信者をさらに神に近づけさせる結果となった。迫害すれば、迫害するほど、彼らは神に近くなり、迫害が強ければ、強いほど、彼らも強くなる。中国共産党が投げつけたボールは、その勢いに従って、彼らの元へバウンドして戻ってきた。そして、現在、かつてのボールを勢いよく投げつける方針から、懐柔策ともいえる教会堂建設推奨方針に切り替えられてきている。

まとめ

  • 中国の家の教会が急成長した要因は多数あり、中国ならではの社会情勢やキリスト教の教義が持つ特性が非常に大きいといわれている。
  • また、宗教政策の転換も大きな影響を与えている。
  • 迫害の中にあっても、キリスト教のもつ「敵を赦す」教義により、神に対する飢え渇きが増し、結果的に人々が神に近づく要因となった。
※参考文献
中国基督教教会合法化研究 于建荣
参考リンク