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公認教会と非公認教会
公認教会という言葉を用いるとき、
- 政府 → 三自愛国教会
- 政府 → 三自愛国教会 → 家の教会
- 政府 → 家の教会
政府→三自愛国教会
1950年から続いている最もオーソドックスな形式。共産党の組織下にある。
政府→三自愛国教会→家の教会
教会堂を建てることを許可することを条件に、三自愛国教会の組織化に編入させる形式。共産党の傘下にある三自愛国教会の組織下に、さらに家の教会が入る。
政府→家の教会
都市型の新興教会に多く、地方政府との粘り強い直接対話を進め、三自愛国教会の組織外で公認と認められる形式。つまり、共産党の傘下に入ることなしに、家の教会を登録し、合法的な立場を得た教会。教義的な内容や教会運営に対しての共産党の介入はほとんどないが、教会関連の郵便物はすべて見られていたり、毎週の集会には当局から監視役が参加したりと、一定の管理の下には置かれているそうである。
形式は問わず、改革開放以降、特に近年、家の教会の公認化が進められてきてはいるが、現状、非公認教会の数のほうが圧倒的に多い。
非公認教会の問題
非公認教会をめぐる問題の根源は、中央政府の公式の文書、法律や法規が、家の教会の法的な立場を明記していないことにある。関連法律、法規、条例は実用性、実効性に欠けているため、家の教会をめぐって諸問題が発生した場合、全く役に立たないものとなっており、結果的にどこまで政府が干渉するかは、すべて地方政府に判断に委ねられてしまっている場合が多い。
非公認教会に対して、ある地方政府は、寛容的な立場を取り、ある地方政府は、強硬的な態度で教会に対して圧力をかけている。この判断の「さじ加減」が地域によってこのが全く異なるため、ある地域では教会堂が破壊され、また、ある地域では路傍伝道をしても全く禁止されないなどの現象が発生する原因となっている。
一般的に、東側の沿海部の地方政府は家の教会に対して寛容的で、「見て見ぬ振り」の態度を取っており、西側の内陸部の地方政府は家の教会に対して強硬的で、しばしば、教会に圧力をかけ活動を妨害したりしている。と言われている。ここ数年でも、河南省、河北省、安徽省、内モンゴル自治区などで、公安が集会を中断させたり、信徒やリーダーを拘束したり、また、暴力事件に発展した事件も発生している。
この非公認教会の存在がもたらす諸問題について、中国社会科学院の于建荣氏は以下の三つの指摘をしている。
- 教会資産に関するトラブルの増加
- 教会の地下化とオカルト化
- 政府と家の教会間の軋轢
教会資産に関するトラブルの増加
数十人集まる家の教会が形成されると、献金などによって、次第に教会資産もできてくる。家の教会の規模が大きくなると、必然的に教会資産も増加する。これの何が問題になるかというと、例えば、ある教会で700万元(1億2,000万円)の資産があり、教会堂として使用するため、建物を購入することになった。教会は法人として実体をもっていないため、教会の牧師の個人名義で購入することになる。もし、教会の牧師が自分の子供にきちんと信仰継承できれば、建物は教会のものとして使用し続けることができるが、信仰継承ができていなかった場合、牧師の子供が建物を自分個人の固定資産として主張する可能性が出てくる。この場合、教会は法的にどうすることもできなくなってしまう。
このように、教会が法人化されていないため、教会内部で資産をめぐるトラブルが多発している。現在、多くの家の教会が、非公認ゆえに法的立場なく、教会資産問題に悩まされている。
教会の地下化とオカルト化
于建荣氏は、地方政府の弾圧によって、教会は否応なしに、地下化せざるを得なくなっており、逆にその弾圧が、キリスト教の異端や邪教の活動を活発化させていると指摘している。例えば、ある宗教指導家は意図的に、自分自身に関することを秘密のベールで覆い隠し、自分を神秘化することによって、宗教指導者としてのカリスマ性や偉大さを形成しようとする。
彼らは地下室で集会をもったり、カーテンを閉め切った部屋の中に集まる。こうすることにより、外から内部の状況が分からないようにするだけでなく、外部と集会を一切隔離することにより、信徒たちに対して、一種の宗教的な「神秘性」や「神聖さ」を感じさせようとしている。
もちろん、純粋な教会は、ただ弾圧から逃れるために隠れて集会を行っているが、一部の異端や邪教は、これを逆に利用して活動している。実は地方政府による弾圧が、教会のオカルト化や邪教化に貢献し、結果的に社会に対して不安をもたらしているというパラドックスがある。
例えば、中国で比較的勢力があり、有名な邪教組織に、「三班僕人教」や「東方閃電教」などがある。これらは、既に政府によって邪教として認定されており、純粋な教会から信徒を奪い取ることはもちろんのこと、邪教内での離反や分裂などから、信徒同士の殺し合いなども行い、刑事事件に発展、社会問題になったものまである。
政府と家の教会間の軋轢
教会は明確な法的な立場を得ていないために、しばしば、地方政府に干渉され、教会活動を阻害されたり、また、根拠なく「邪教扱い」され取締りを受けてきた。こうした長く続いた微妙で複雑な関係が、問題をより大きくしている。家の教会は弾圧を逃れるために、法律の隙間をかいくぐって、教会の生存場所を求め、自らの宗教に対する権利を主張し続けている。
一方、政府の家の教会に対する対応は、冒頭でも述べたとおり、より「政治化」してきており、教会堂を建設の許可を条件に、三自愛国教会の組織化に入ることを進めている。しかし、家の教会が望んでいるのは、本当の意味での信教の自由であって、三自愛国教会の組織外で公認と認められることである。
家の教会の存在は決して違法ではない。その教義に反社会的な要素が含まれているわけでもなく、彼らは純粋に聖書の教えを守り、神を愛し、人を愛し、政府を愛し、その信仰生活を送りたいだけである。ただ、家の教会の存在方法が違法であるがゆえに、彼らの立場は不明確で、不当な扱いを受け続けている。
非公認ゆえにもたらされる諸問題を解決するためには、すべての問題の根源となっている宗教に関する法律、法規、条例を制定し、三自愛とは距離をとった上で、非公認教会に公認の立場を与えるしかない。
まとめ
- 家の教会が公認とされるにもいくつかの方法があるが、いずれも条件があり、なかなか公認化が進んでいない現状がある。
- 非公認ゆえに教会財産のトラブルなどが発生している。
- 公認としないことが邪教や異端の活動が活発になる要因にもなっている。