1408_モーセはなぜ主がアブラハムに個人的に語られた言葉を知っていたのか?

出エジプトを読んでいた時にい3つの気づき

新年に入って聖書通読を新たに始めています。先日は出エジプトを読んでいた時にい3つの気づきが与えられました。モーセはイスラエルの民を率いて神様の超自然的な介入によって紅海を渡り、晴れて出エジプトします。出エジプト記なので、ここがクライマックスかと思いきや出エジプトしてからも記述は続きます。

これが一つ目の気づきです。イエス様に救われて「古いものは過ぎ去った。見よ、すべてが新しく造られたのである。」という御言からすべてスタートします。決して救われた時がクライマックスではないのです。決してそれがピークではありません。

二つ目の気づき

出エジプト後、イスラエルの民は様々なことで不平不満をモーセに申し立てます。中でも大きな過ちはモーセがいない間に、金の子牛の偶像を鋳造してそれを拝んで、かつ戯れたことです。つい先日、主の前に「我々はそれを行います」と宣言したにもかかわらず、偶像礼拝をしてしまうのです。

おそらく、当時いたイスラエルの民全員が積極的に金の子牛事件にかかわったわけではないと思います。なぜなら、事件のあとでレビ人に殺されたのは3000人ほどだったからです。しかし、積極的にかかわらなかった民も大多数いたのだと思います。しかし、誰も反対の声をあげなかったのです。

僕も同じだと思いました。それは「流される」ということです。厄介なことになるから、面倒だから、ややこしいから、というような理由で流されることが自分にもあると思わされました。これが二つ目の気づきです。

3つ目の気づき

モーセはこの事件発覚直後に、主にとりなしの祈りをしています。その中でこのような言葉がありました。

あなたのしもべアブラハム、イサク、イスラエルに、あなたが御自身をさして誓い、『わたしは天の星のように、あなたがたの子孫を増し、わたしが約束したこの地を皆あなたがたの子孫に与えて、長くこれを所有させるであろう』と彼らに仰せられたことを覚えてください」。
出エジプト32:13

僕は不思議に思いました。なぜなら、この言葉は主がアブラハムに個人的に語った言葉だからです。なぜモーセがこの言葉を知っていたのでしょうか?それは、アブラハム、イサク、ヤコブ、そして、ヨセフから代々イスラエルの民の間で語り継がれていたからです。イスラエルの民は神の言をないがしろにせず確かに次の世代に伝えていたのです。

御言を伝えること

そして、モーセはその御言を握っていました。なによりもそしてとりなしの祈りの時に、暗唱できるまでに体に編み込んでいたのです。このように御言こそが希望です。御言を握らずして希望はないと思いました。また、御言を次の世代に伝える責任が自分の世代にもあると思いました。

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