1390_信仰を自身の感情から切り離して御言に立てるようにする方法

心が震えた御言

昨日は年間通読することによってバランスのとれた信仰生活が送れるだろうと書きました。と言いつつも、2024年は集中的に読んだ箇所があります。それはエレミヤ書です。僕が17歳の時に救われてからずっと御言をピックアップしてノートに記載してそれを覚えるというのが僕のライフワークになっています。

心が震えた御言、心にしみ込んだ御言、霊的な戦いに使える御言、祈りで引用で仕える御言などがあればすぐにノートに記載していつでも反復して心に編み込めるようにしています。それには大きな効能があります。それは信仰が自身の感情から切り離されて御言に立てるようになるということです。

暗唱聖句ノート

と言いつつも、僕は今でもしんどいなぁと思うことがあったり、嫌だなぁと思ってしまうこともあります。しかし、心に御言を打ち込み、編み込み、刻み込まれているので、ずーんと落ちることはなくなりました。これは御言は霊的な命であり、神さまそのものであるからだと思っています。

この御言を打ち込む過程の最大のツールになるのが暗唱聖句ノートになります。

預言書

しかし、何十年も聖書を読んでいると新約聖書などの有名どころはだいたいピックアップし終わっており、近年ではピックアップ回数がかなり落ちてきていました。そこで預言書に目を付けたのです。「大地」を著したパールバックは幼い頃より両親からイザヤ書の詩的な表現を暗唱するように教育されていたようです。それも一つのヒントになりました。

これまで、エレミヤ書で言えば「私があなた方に対して抱いている計画は禍ではなく~」の御言くらいしか暗唱していませんでしたが、2024年は珠玉の御言に出会いました。その中の一つを紹介して終わりたいと思います。

エレミヤ書17章

主はこう言われる、

「おおよそ人を頼みとし肉なる者を自分の腕とし、
その心が主を離れている人は、のろわれる。

彼は荒野に育つ小さい木のように、
何も良いことの来るのを見ない。
荒野の、干上がった所に住み、
人の住まない塩地にいる。

おおよそ主にたより、
主を頼みとする人はさいわいである。

彼は水のほとりに植えた木のようで、
その根を川にのばし、
暑さにあっても恐れることはない。
その葉は常に青く、
ひでりの年にも憂えることなく、
絶えず実を結ぶ」。
エレミヤ17:5-8

詩篇1篇を彷彿とさせる御言でとても好きです。この御言は僕がもし主から離れてしまったら、すぐに心が干上がって水を求めて世俗に流れていくということを強く自覚させてくれます。しかし、主により頼むならば、主からいつも命の水を頂き実を結ぶ生き方ができるようになります。

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