1219_365日主と共に歩むこと

365日主と共に生きる

ここ数日はこのブログで平日の信仰生活を自分の課題にしてきたということを書いてきました。それは決して聖日だけ神様に飢え乾いて主を求めて、平日は好きなように生きるという2面性のある生き方ではなくて、365日主と共に生きるという生き方です。

しかし、この365日主と共に生きるという生き方は僕にとっては決して簡単なことではありませんでした。それは自分には頑固な性質が強く残っていたからです。あるものに執着心があったのです。だから、平日も主と共に歩みたいちと願ってからそれが習慣化されるにいたるまでには2年近くかかったように思います。

自分の闇がどんどん顕わにされていく

この2年間は主の恵みと憐れみによって自分の闇がどんどん顕わにされていくという経験をしました。それは光に晒されてさらけ出されていく部分に蓋をして見ないようにするのではなくて直視せざるを得ない過程でした。見て見ないふりをしないのは自分にとってはチャレンジでしたが、自分が変わりたいという気持ちに主が働きかけてくださってのだと思います。

このチャレンジの中で僕は決して自分で自分を制御できないということを徹底的に知りました。それは言い換えれば、さらに言葉を選ばずに書けば自分はいつだって罪に陥る弱さを持っているということです。それは確かに事実でありますが、一面の事実にすぎません。真理は僕は主にあって必ず勝利することができるということです。

十字架の力を再び体験する

平日も主と共に歩むという素晴らしい体験は、本当に霊的な深い領域において、自分の罪がイエス様の十字架の血潮によって確かに絶たれたという経験を経ない限りは決してできないことでした。この経験は僕にイエス様の十字架の力を再び体験する時となりました。それか平日も主と共に歩むということが具体的にどういったことのなのかを知っていくようになりました。

まだそのような状態になって数か月しか経過していませんが、この数か月の一日一日は主と共に歩もうとしなかった数千日に勝ると確信しています。

あなたの大庭にいる一日は、
よそにいる千日にもまさるのです。
わたしは悪の天幕にいるよりは、
むしろ、わが神の家の門守となることを願います。
詩篇84:10

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