誰でも変わりたい
おそらく人は誰でも何かしら「変わりたい」と思っていることがあるんだろうと思います。理想的な体型や容貌を手に入れるために多くの人がダイエットをしたり、美容整形をしたりしています。また、リスキリングという言葉が流行っているように新しいスキルを身に着けることによって変わりたいと思うかもしれません。またある人は自己啓発などをしていることでしょう。
変わりたいと思って行動しても実際にみんながみんな変われるわけではありません。僕が思っている変わるために唯一必要なことは「本気で変わりたいと思っているか?」だけだと思っています。
本気かどうかだけ
もし本気で変わりたいと思っていたら、モチベーションなどを考える必要がなくなります。たとえ、続けることが困難なことであっても本気だったら続けることができるのです。変わりたいというエネルギーが強いため、対象に対して強く取り組むことができます。続けるためのマインドとして、「今すぐに得られる楽しみや快楽を犠牲にして、未来に得られる幸福を考える」ということが絶対的に必要になります。
本気で変わりたいという気持ちはその現在の楽しみや快楽に対して、強くNOということができます。
聖書に本気で従いたいと思っているか?
これはクリスチャンの信仰生活も全く同じです。もし、人が心から本気でキリストにあって変わりたいと思っていなかったら、どれだけ信仰歴が長かったとしても成長はないと思います。また、もし人が本気で神様からの言葉に従おうと思わない限り、ずっと二心の状態の信仰生活が続いてしまいます。
人の心には「これくらいはいいだろう」という妥協がすぐにやってきます。もし、その妥協に対して強い気持ちがないとすぐに誘惑に負けてしまって流されてしまうのです。
本当に変わりたいのか?
これは僕自身が体験していることです。神様に自分自身を捧げたい。神様に喜ばれることをしたい。と思っていても、ずっと二心のような状態になってしまっているのです。それは、僕自身が本気で変わりたいと思っていないからにほかなりません。変わりたいと思っているくらいで全く本気じゃないのです。心の中の本音を覗けば、現状の信仰生活がちょうどよいと感じていたりするのです。
僕に今求められているのは、「本当に変わりたいのか?」という自問です。そして、「本当に大切なことにコミットしてこの人生を全うしたいのか?」という自問です。内省する度に、時間はあっという間に過ぎ去ってしまうため残り時間は少ないということは頭ではわかっています。
今一度、「本当に変わりたいのか?」という自問を持って神様に向き合いたいと思います。それは、イエス・キリストの栄光を見るために、現在の誘惑に対してNOと言うためです。