年をとる実感
昔若かった頃は本気で自分が年を取るなどとは思ってもいませんでした。そもそも救われる前はパンクロック的な思想が色濃かったので30歳以上は嫌な大人という嫌悪感や偏見までありました。しかし、否応なく僕も年を取ってしまいました。そして自分が嫌悪していた30歳にもなり、今ではアラフォーにすらなっています。
最近は特にこれまで感じなかった体の不調や健康診断の結果や腹の出っ張りを目の当たりにすると、確実に年老いて死ぬんだと確信するようになりました。それはすべての人に共通することです。別に聖書や宗教を信じていなくても、死はすべての人に訪れる厳然とした事実です。
死は考えない
しかし、殆どの場合、健康な人は普段自分の死などを意識することはありません。なぜなら、人間は死を考えないようにしているからです。またそれは禁忌ですらあります。どれだけの文明が発展しても人類は死を克服できていないのです。臭いものに蓋をするように死に関しては蓋をしている場合が大多いのではないかと思います。
ただ、何事でも逆算してそれを達成するために今何をするかを考えるように、死から逆算して今自分が何をしないといけないかを考えないと本当に大切なことを見逃して人生を過ごしてしまうのではないかと思います。
適切な緊張感
もちろん、自分がいつ死ぬかは神のみぞ知るもので正しい逆算はできません。しかし、神を信じている者が知っているのは、自分が死ぬときはつまり、自分がこの地上で神に与えられた使命を全うしたときだということです。
自分には必ず死が訪れるという当たり前のことを日々考える中で、今自分は何をしないといけないかを考えると、日々の生活に適度な緊張感が与えられ、意思決定も研ぎ澄まされると思います。
死ぬときに何を思うか
死を間近にしたときに、「あの時見たYoutubeおもしろかったな〜」とか「あの時飲んだビールは最高だった!」とか思う人はおそらくほとんどいないでしょう。つまり、人の記憶に残る最も大切なことは目の喜びでもなく、食の喜びでもないということです。
最も大切なことを教えてくださるのは創造主なる神のみです。そして、その方の御心を知り、実行する、そのことこそが、死を間近にしたときにその人にとって幸いな時となるんだと思います。それは、神を愛すること、目の前にいる家族を愛すること、教会に仕えること、職場の人に仕えること、周りに対して無関心ではないことなどがあると思います。
生きれる期間
僕は37歳なので普通に考えて添加物が含まれているものとかをよく食べているので、80歳までは生きられないと思います。そう考えると健康な体である現役時代は残り30年あればいいほうでしょう。
後悔しないように今何をすべきかを祈り求めていきます。