0852_時代の流れや変化が大きすぎて身体がついていっていない

スマホ依存傾向

最近、暇があるとスマホを触ってしまっている自分に気づきました。あまり体調がよくないので手軽に気分転換できるスマホに依存してしまっていたのだと思います。体調が良ければランニングや筋トレや読書や各種勉強などに時間を使えますが、疲れているとどうしても安きに流れてしまっていたのです。

何を見ているかというと、とてつもなくつまらない情報をネットサーフィンしたりしているだけです。あとは、インスタグラムとか情報収集系のTwitterアカウントで下にずっとスワイプしているだけです。さらにキリスト教とは全く関係のないほとんど無益なYoutubeの動画なども見てしまっていました。

SNSは人生を豊かにしたか?

これではいかんと思ったので、まず、インスタグラムとスレッズをアンインストールしました。Twitterはだいぶ前にアプリを消していたので、ブラウザに残っていたログイン情報などのキャッシュを削除しました。Youtubeは説教系が外せないのでアプリは入ったままになっていますが、これで、少しは全く生産性のない無意味な時間や認知を奪われにくくなったのではないかと思います。

いつも思うのは、僕が学生時代にはSNSがなくてよかったということです。なぜなら、現在、炎上系で騒がれていることに類似したグレーなことを友人たちとやっていたからです。もちろん、人様に迷惑をかけることはしていませんが、一部の人を不快に思わせるようなことはしていたと思います。その場の友人たちのノリで「やめろって!」とか言いながらやる文化は僕の時もありました。もし、あの時にSNSがあったらと思うとぞっとします。

本当に必要な情報収集

このように昔SNSがなくても何の支障もなく楽しい毎日を過ごしていたように、現代もSNSがなくても何の支障もなく過ごすことができます。むしろ、ノイズ的な不快な情報や広告が目に入ることによってQOLは昔よりも低下するとさえ思っています。もちろん、時代の流れに遅れるとか情報収集はSNSが一番早いというメリットは確かにあります。

しかし、その情報収集すら本当に必要なものなのか?を自問するとそうではない場合が多いこともあります。かなりネガティブですが、ネットにある情報はほとんどポジショントークなので、あなただけのことを考えた本当に有益な情報というのは少ないと思います。

身体を大切にする

最近は生成AI周りの情報収集をTwitterでしていましたが、しばらくお休みにしようと思います。時代の流れや変化が大きすぎて、この僕の身体がついていっていないと思うからです。とりあえず、デジタルから離れて一日中空を見上げるような日を過ごしたいです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)