赤ちゃん特有の性質
昨日は自分自身が赤ちゃんの成長とともに自分自身も成長できたことを書きました。それは自分の精神面だけではなく霊的側面にも大きな影響を与え、「神中心の生活」のヒントにもなったということを書きました。その一方で、僕は赤ちゃんに自分自身を見出したことも書かなければなりません。
それはつまり、自分の中にまだまだ大人になり切れていない赤ちゃん特有の性質があることを見たのです。それは、言い換えると、成熟していない大人、残念な大人、イタイ大人だということです。
精神面と霊的側面
僕の元来の性質から書くと「お腹が減ったら口数が減る」とか「眠くなると不機嫌になる」とか「自分がやりたくないことはやりたくない」などです。これらももちろん改善しないといけません。しかし、最も改善しないといけないと思ったのは霊的な側面のことです。
聖書にはこのように書かれています。
あなたがたは、久しい以前からすでに教師となっているはずなのに、もう一度神の言の初歩を、人から手ほどきしてもらわねばならない始末である。あなたがたは堅い食物ではなく、乳を必要としている。すべて乳を飲んでいる者は、幼な子なのだから、義の言葉を味わうことができない。しかし、堅い食物は、善悪を見わける感覚を実際に働かせて訓練された成人のとるべきものである。
へブル人への手紙5:12-14
取り組むべき御言
僕の理解では、乳の食物とはこういった聖書の言葉を指します。「神は愛なり」とか「神はあなた方を祝福される」とか「すべての罪を赦してくださる」といったものです。つまり、一方的に受ける側の御言です。GIVEではなく神様からのTEKEだけに重点が置かれたことばです。もちろん、こういった御言も生涯にわたって大切ですが、堅い食物も大切だということです。
堅い食物とは「自分の十字架を背負ってイエス様のあとに従っていく」とか「すべて神から生れた者は、罪を犯さない。」とか「神を愛するとはその戒めを守ることである」とかです。
こういったことばは僕にとって耳に痛く信仰を持って受け入れがたいものです。
大人のクリスチャンになるべく
しかし、自分から主体的に能動的に自主的に堅い食物を食べれるようになりたいと決意し、こういった御言と向き合い、葛藤して取り組んでいくのであればきっと成熟したクリスチャンに成長できると信じます。
将来僕の子供が僕を見て、幼子のクリスチャンを見ることがないように、今の時を生かして大人のクリスチャンになりたいです。