移動のプロセスの大切さ
昨日は小島秀夫氏の言葉を引用しました。
人間には移動が必要です。点から点に飛ぶのではなく、点から点に向かう間こそが重要です。
もし、点から点へ飛ぶような生活が当たり前になったらプロセスを楽しむという醍醐味が失われてしまうことになります。以前僕はサブスクの動画サービスではなくて、レンタルビデオ屋にビデオを借りに行くほうが好きだっったと書きましたが、同じようなことだと感じています。
0581_寒い中ジャンパーを羽織って自転でレンタルビデオ屋に行っていた時代
物事のプロセス
小島氏がおっしゃっているこの移動にはもちろん物理的な移動だけではなくて、物事のプロセスも含まれています。確かに物事のプロセスを飛ばしたいという願望は誰にでもあると思います。例えば、受験勉強などその最たるもので、おそらく希望校に入学できた結果だけがほしいと思うのではないのでしょうか。
その他、「英語を話せるようになりたい」や「楽器が弾けるようになりたい」や「プログラミングができるようになりたい」など、今すぐできる状態になりたいという願望が誰にもあると思います。
言語学習について
最近はインスタグラムに大量の英語学習に関する広告が出てきています。その広告内容を見ると、「わずか1ヶ月で」とか「3ヶ月でネイティブなみに」のような文字が並んでいます。確かにたとえば来年から外国に行くから急ぎで習得しないといけない人もいるでしょうし、そういう方には必要なプログラムかもしれません。
ただ、僕が思っていることはプロセスこそが楽しいということです。僕は大した大学に入っていませんが、1浪の期間は相当緊張感があり、早く開放されたいと思っていました。ただ、今から振り返るとあの1年ほど目標に向かって突き進み研ぎ澄まされた時間はなかったと思っています。当時は結果だけがほしくても、今はあのプロセスがほしかったと思うのです。
楽しかったことは
これまで中国語などを勉強してきて楽しかったのは決して「話せる状態ではなくて、習得してきたプロセス」です。もちろん伝わったときの喜びや言語を通して関係が深くなったり、問題解決できたときの喜びはあります。しかし、それよりも、学ぶプロセスが楽しいからこそやっているのです。そしてその学びのプロセスは今も続いています。
子育ても同じでしょう。親のほとんどの方が「子供が成人した状態でほしい」と思う人はいないのではないかと思います。子供を育てるだけでなく、育てる過程で自分も成長する過程を楽しむのです。もちろん、当時はきついと思うかもしれません。しかし、振り返った時に大きくなった子供ももちろん嬉しいけれど、プロセスが楽しかったというと思うのです。