0152_契約の箱があってもボロ負けしたイスラエル

こんにちわ。

100日後にプログラマーになる記事が1日で終わったおっさんです。
しれっと終わろうと思っています。

それより、今朝読んだ聖書箇所に神様の憐れみを感じました。レオナルド・​ダ・ヴィンチのダビデ像で有名なダビデに油を注いでイスラエルの王様になることを予言したサムエルがまだ幼かったころの話。どうも当時の少年サムエルの師であるエリの息子2人は神を恐れない人物で、律法的にも、倫理的にも、やりたい放題やっていたようです。

「神を畏れない」そんな時代にサムエルはこの世に登場したようです。

ある時、イスラエルがペリシテ人との戦いの時に、よほど劣勢だったのか、神の臨在である「契約の箱」を戦場に持ち込みました。ペリシテ人は意外にも「契約の箱」が神の臨在と同義と理解していたため、一時恐れ怯みますが、「ペリシテ人よ、勇気を出して男らしくせよ!」との呼びかけに鼓舞され、あっさりイスラエル人を撃退してしまします。さらに、なんと、契約の箱ごと強奪までしてしまったのです。

ここでまず思ったのが、自分の中に「神を畏れる心のない形式的な行動がないか」ということでした。イスラエルの人のように、神様が共にいると思って戦いに出ても、そこには実際神の助けはありませんでした。僕は自分が形式的に聖書を読んでいたり、形式的に祈ったりしてしまうことがあることを痛感しています。

しかし、神様はイスラエルを見捨てたわけではありませんでした。ペリシテ人の手元にわたった契約の箱により、ペリシテ人に禍が降りかかり、確かに神が働いていることが明らかになるのです。そして、ペリシテ人は契約の箱を恐れ、あがないの供え物(すご~くシュールな金の腫物×5、金のネズミ×5)を添えて、イスラエルに返却することになります。

ここに神様の憐れみを深く感じます。神様は悔い改めるチャンスをくださいます。
どうか、再び神を畏れ敬い、神の臨在と共に歩めるように導いて下さい。